2009年度                                       

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2009年10月号  NEW!        題名:学生時代      幡谷 隆 (数学 担当)

 うちの塾には現在、大学受験を控えた高校3年生が10名ほどいます。各々が将来に向けて適性な大学・学部・学科を考えているようですが、明確な目標を持っている者は当然、志望校が決めやすく、入試に向けて、推薦入学試験のための志望理由書の作成や小論文・面接の練習を進めています。しかし、目標がぼやけている場合は、困ったことに大変迷っていてセンター試験は受けるものの、どの教科を受験するのかさえ決めかねている状態で、センター試験までに決まるのかしら?と思うほど。確かに17・18歳の若さでいまだ社会に出たことのない彼らに「将来就きたい職業は?学びたい学科は?」と問いかけても、経験のないことに対してはっきりとした答えが出せるはずもないですよね。大学入試の方法も多岐にわたり、AO入試、指定校推薦・公募推薦、そして一般入試のためのセンター試験。それを利用した私立大学の入試など入学するためには度の道筋を選ぶのが適当なのか判断するためには相当な研究が必要になっています。インターネット等の普及により、情報が集めやすくなっていますが、多くの情報を整理して決定する能力も問われる時代になっています。

 私が大学入試を経験したのは今から30年近く前になります。当時は国公立大学を受験する際に、センター試験ではなく「共通一次試験」という名称の試験を受けなければなりませんでした。国・社・数・理・英の5教科で理社は2科目ずつを選択して全体で1000点満点のテストを必ず受験することが義務付けられていました。その試験の得点と国公立の全大学がほぼ同日に行う二次試験により合否が決められました。ですから国公立大学は一校しか受験はできないことになります。今のような前期・中期・後期日程が行われるようになったのは「センター試験」になってからのことです。そういった意味では、国公立大学への門戸も拡がったと言えるでしょう。
 
さて、大学時代のことを少々お話したいと思います。私は北海道にある教育大学に入学しました。観光地にあるその大学を選んだのは、限られた四年間を過ごす土地として魅力的に感じたという、あまり自慢できない理由からでした。もともと、大学を卒業したら家業を継ぐ約束を両親としていましたので大学で学ぶ内容よりも正直言って「学生生活」を重視していました。
 専攻は教育心理学。担当教官には申し訳ないほど向学心なるものとはかけ離れた学生だったと思います。教育学部なのだからもっと教育の現場に沿った指導法や教材研究の方法を学ぶのかと思っていたら随分とかけ離れた文献の研究が中心になっていて、大学においての私の勉強は、単に単位を取るために申し訳程度にレポートや試験に臨むものとなっていたと思います。そういったなかで教育実習で体験した、教員の役割や生徒とのふれあいは非常に貴重な経験となり、現在に結びついているものと感じています。
 一方、生活の面ではいわゆる貧乏学生を地でいっていました。親からの仕送りが滞ったときには、食費にもことを欠き、インスタントラーメンの汁をおかずに食事をしたことも何度となくあります。バイト先からパンの耳を貰って仲間と分け合って、喜んで食べていました。周りもみんな、金欠で当たり前の様子でしたら、お金がないことや食べるものがないといってもなんら恥ずかしいこともなく、そういった意味ではとても過ごしやすい環境だったと思います。剣道部に所属していましたので、試合となると北海道は非常に広いため、必ず幾泊かの遠征となります。その遠征費を捻出するためにも生活費を削ることはもちろんですが、割のいいアルバイトがあれば多少無理をしてもやらせてもらっていました。

 さて、今年の受験生たちはどのような環境の中で大学生活を過ごすことを選択するのか、非常に楽しみです。ひとり暮らしとなると、親御さんの負担は大変かと思いますが、本人が希望することですから、奨学金や学生寮などで経費を少しでも切り詰め、社会勉強を兼ねて生活費の一部は自分でアルバイトなどをして賄うのもいい経験かと思います。情報や物質には恵まれている今日ですが、景気が回復しているとはとても言えませんよね。その中で学生生活を送らせてもらえることに感謝の気持ちを持ちながら、貴重な学生時代を大切に過ごしてほしいと思います。


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2009年9月号          題名:通知表、教師の「本音」?      石田 俊吾 (数・理 担当)

先日、毎日新聞のニュースで

≪通知表:教師の「本音」は マイナスの言葉書けず≫

という記事がありました。
 
 実は先生たちの「あからさまには書けない本音」も隠れているらしい。学校でのわが子の姿を知るには「裏読み術」が必要なようだ。例えば、「騒がしい→活発」「反抗的→自立した」のように、通知表には書かれるようだ。

   ◇

 「お子さんの言葉遣いについてお話ししたいので、面談にいらしてください」

 数年前の秋、東京都内の女性会社員(41)は娘の担任からの電話に驚いた。娘は当時小学校中学年。親としては面談を受けなくてはならないほど言葉遣いが悪いとは思っていなかった。

 振り返れば確かに、担任が娘の通知表に書いた所見には<言葉遣いや行動が乱暴になる時があるので、注意できると良い>とあった。家庭でも「気をつけようね」と話してはいたが、多少荒っぽいことを言っても「子どもらしく元気な証拠」と深刻には受け止めていなかったという。

 女性は「所見欄の読み方が甘かったのか」と、知り合いの小学校教師に聞いてみた。すると「教師が<注意できると良い>と書くのは、よほど目に余り直してほしいところ。かなりきつい表現だ」とアドバイスされた。女性は言う。「所見を額面通り受け止めていたら、先生の意図を見落としてしまう。親はもっと厳しい目で通知表を読んだ方が良いのかもしれませんね」

   *

 ベネッセ教育研究開発センターが05年、小学生の保護者4432人を対象に行った意識調査では、学習の評価(成績のつけ方)への満足度は「とても満足」「満足」が合わせて60%で、「あまり満足していない」「まったく満足していない」と答えた保護者も32%いた。教師の指導力不足やモンスターペアレントの問題が取りざたされ、学校と保護者の関係が難しくなってきた時代、親の3人に1人が通知表のあり方などに不満を感じていることになる。

 だが先生たちにとって、通知表の作成は難しい仕事だ。

 都内のある男性小学校教師は「大事な課題や改善点は面談で伝えることが基本」と話す。「所見にはマイナスの言葉は書きません。学校でどんな変化が見られたかを保護者に伝え、足りないところがより良くなるよう、励ます言葉を選びます」。例えば<最後までやり通せなかった>という子には、<最後までやり通せるようになると良い>。

 裏を返せば、保護者は<できるようになるといいですね>などと書かれた点は、子どもがまだできていない課題だと意識することが必要になる。

   *

 教育関係者によると、児童・生徒に問題行動があってもソフトな言葉で表すようになってきたのは、個性を重視する教育が取り入れられた90年代以降だ。

 通知表の所見の書き方については、教師向けのマニュアルも出版されている。教師のための情報を発信する「教心ネット」運営責任者で教育コンサルタントの伊藤敏雄さんは「マイナス面は書けないので、言い換えに多くの教師が悩んでいる」と指摘する。

 伊藤さん自身も「書きかえたい言葉一覧、文例集」を作り、ネット上に公開している。例えば、授業中騒がしい子には<活発>や<元気>。口が悪い子には<自分の意見が言える>など=別表参照。最近では「学校での子どもの姿がわからない」という保護者たちが所見欄を「裏読み」するのにも活用されているという。

 伊藤さんは「行動に問題があっても教師はソフトな言葉でしか示さないので、親は子が学校でうまくやっていると勘違いしてしまう。子どもの学校での姿を把握し、成長につなげてほしい」と話す。

 教師との関係性やクラスの雰囲気などでも、子どもの言動は大きく変わる。通知表は中身に過剰に神経質になるよりも、教師とのコミュニケーション手段と位置づけ、家庭と学校が手を取り合って子を育てていくことに生かしたい。

 ◇教科の評定は絶対評価だが…
 教科ごとの評定についても、受け止め方に悩む保護者は多い。

 公立小中学校では02年度以降、学級や学年全体の順位や割合を考慮して個人成績が決まる「相対評価」から、他との比較ではなく教科ごとの目標や内容に対するそれぞれの到達度で評価する「絶対評価」になった。「A=良い」「B=もう少し」「C=がんばろう」などだが、各評価に人数の枠がないため、目標を達成していればクラス全員をA評定にすることもできる。

 実際は多くの子に「B」がつき、「A」は飛び抜けて理解の進んでいる子、「C」は目標に到達しておらず勉強に真剣に取り組むべき子という。しかし、クラスの多くの子が目標に到達していない場合、教師の基準は甘くなりがちで、本来ならば「C」のところを「B」にしてしまうこともある。「『真ん中なら大丈夫』とのんびりしていると、思わぬ落とし穴が待っていることがある」と指摘する教師もいる。

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 ■通知表に書きづらい言葉の言い換え

子どもの様子    通知表での表現

騒がしい      明るい、活発な

頑固な       意志が強い

無口、ぼーっとした 落ち着いた、穏やか

暗い        おとなしい

不まじめ      活動的、行動的

うるさい      活発、元気がいい

怒りっぽい     感受性豊か

落ち着きがない   好奇心旺盛

いいかげん     こだわらない

威張っている    自信に満ちている

口が悪い      自分の意見が言える

反抗的       自立した

不親切       他人に干渉しない

無責任       とらわれない

負けず嫌い     努力家

しつこい      粘り強い

意見が言えない   ひかえめ

甘えん坊      人にかわいがられる

面倒くさがり    物事にとらわれない

ふざける      ユーモアがある

冷たい       冷静

 ※教心ネット「通知表の所見欄、書きかえたい言葉一覧、文例集」(http://www.kyo−sin.net/reframe.htm)を参考に作成


例えば、反抗的→自立した とありますが、本当に自立している子もいることでしょう。また、暗い→おとなしい とありますが、「暗い」ことは悪い事だとは思いません。日本語は、あいまいな表現の多い言語です。上記のことをそのまま鵜呑みにするのはどうかと思いますが、自分の子の見方を変えて厳しく見ることも保護者にとっては大事な事ではないでしょうか。


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2009年8月号          題名:メール便と信書      幡谷 隆 (数学 担当)

 我が家のポストには毎日必ず何かかが届けられている。いわゆる「手紙」以外にも、各種料金の明細書や請求書、子どもの通信教育のDM、ショップからのセールの案内状やあまり欲しくないが税金関係の納付書など様々なものがポストに届けられている。その届けられたものをよく見ると必ずしも切手の貼ってある郵便物ばかりではないことに気がつく。むしろ切手が貼ってあるものの方が圧倒的に少ない。切手は貼っていないが市内特別の印字がされている郵便物の他に、「メール便」が非常に多い。メール便は幡谷塾でも各家庭への送付物のために利用しているが、最近になって、実は「信書」は扱えないということに気づいた。さらに、月末に一括に発送しているにもかかわらず、送付物が届いていないと複数のご家庭から連絡をいただいてしまうことがある。私の勉強不足だろうが、切手の貼ってある郵便物とメール便の違いは、郵便局(現・日本郵政)と民間の違いのみで、届けてくださいと料金を払い、その送付物を間違いなく、しかもできる限り短時間で正確に届けることは言うまでもなく、まして送付物の中身に制限があることなど知る由もなかった。無知と言われればそれまでだが、本当にそういう認識しか持ち合わせていなかった。それならば、少しは調べてみようということで、今回の独り言は「信書」および「メール便」についての雑学。

 さて、メール便なるものは一体いつから始まったのだろうというあたりから調べてみると、今から12年前の1997年、ヤマト運輸が「クロネコメール便」という名称で始まったのが最初。その後佐川急便、日本通運、福山通運が参入。2004年に日本郵政公社(現・日本郵政グループ)がメール便と競合する冊子小包(現・ゆうメール)の大口割引の割引率を上げたため、佐川急便がこの制度を利用した「佐川ゆうメール」(現・飛脚ゆうメール)のサービスを同年に開始した。飛脚ゆうメールは、佐川急便は集荷までのみを行い、集荷したメール便を佐川急便が差出人としてまとめて郵便事業の(統括)支店に差し出し、郵便事業のネットワークで配達するものである。日本通運も「NITTSU郵メール便」の名で同様のサービスを行っている。日本郵便は原則として特定の利用者が差し出す郵便物・荷物を拒否することが出来ないことを利用している。このことに関して言及されることはほとんどない。
 
 さらに調べてみると、確かに問題点も多い。各社とも(特に飛脚メール便は)メール便について土日配送しないケースが散見されたり、万一、紛失事故が起きた場合も追跡に限度があるなど、個人での利用では特に注意を要する(通常は約款により、運賃返金もしくは無償輸送の補償だけで、荷物については補償されない)。また、メール便では、一次業者が集荷し、委託を受けた二次業者・三次業者が配送するという形態を取る業者が多いため、配達日時が指定できず(ごく一部のメール便契約では、配達日時指定可能な契約を結んでいるという場合もある)、近郊でも2日、連携がうまくいかなかったり、営業所放置を食らうと1週間〜10日間ほどかかることもある。企業によってはメール便を利用していたが出荷先からの要望で郵便に戻すケースも多い。したがって、他人に見られては支障がある荷物や、確実に期日までに届く必要がある荷物については、宅配便や通常郵便物とは異なるサービスであることを認識した上で慎重に検討すべきである。また、ポストに完全投函していないケースが多く、定型外サイズの場合は玄関先などに放置されていることも多い。したがって、利用する際には事故の可能性も踏まえて利用することになる。メール便は追跡可能であるが、補償を求めるものを送付しないよう留意する必要がある。ポストの上に置かれて風で飛ぶ。抜き取り。配送員がデータ処理だけして配達しない。などの事故が起きている。補償額は運賃のみであり、紛失時の精神的ダメージも踏まえ利用する事が肝要である。
 
 次に「信書」とは「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」と郵便法及び信書便法に定義されている。「特定の受取人」とは、差出人がその意思の表示又は事実の通知を受ける者として特に定めた者のこと。「意思を表示し、又は事実を通知する」とは、差出人の考えや思いを表し、又は現実に起こり若しくは存在する事柄等の事実を伝えること。「文書」とは、文字、記号、符号等人の知覚によって認識することができる情報が記載された紙その他の有体物のこと(電磁的記録物を送付しても信書の送達には該当しない。)。 信書とそうでないものを例を挙げて区別してみる。
 【信書に該当するもの】
請求書・納品書・領収書・見積書・契約書・承諾書の類 、願書・申込書・申告書の類 、会合・催し物案内状・結婚式等の招待状、営業日報・月報等報告書の類 、免許証・認定書・表彰状の類、証明書・戸籍謄本・住民票の写し、ダイレクトメール、連絡・通知文書・指示文書の類 、地域振興券、投票所入場券 、添え状・送り状 など。
 【信書に該当しないもの】
絵画・書籍・新聞・雑誌・会報・カレンダー・ポスター ・カタログ・小切手・手形・株券・商品券・図書券・乗車券・クレジットカード・キャッシュカードの類、会員カード(入会証・ポイントカード・マイレージカード)・チラシ・パンフレット・リーフレットの類 など。

 なるほど、塾から各家庭に送っているものは明らかに信書であり「メール便」では取り扱いのできないものだということはわかった。しかし、そこは民間の業者同士の話し合いで、お願いしてしまえば何とかなるかと思いきやそこには法律の壁が存在していた。
 まず、現在、日本では民間事業者による信書の送達に関する法律により、信書参入が制限されている。そのため総務大臣の許可を受けていない宅配便業者などが信書を配達することは出来ないということ。さらに、郵便事業会社であっても、郵便ではない方法(「エクスパック500」や「ゆうパック」等の荷物便サービス)にて信書を送達することは、郵便法第4条4項(何人も、第二項の規定に違反して信書の送達を業とする者に信書の送達を委託し、又は前項に掲げる者に信書の送達を委託してはならない。)に抵触する行為であり、同法第76条の罰則規定(三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金)に相当するのある。

 結論としては、経費削減のために長年「メール便」を利用してきたが、そもそもの利用の仕方に間違いがあったこと、また郵便であっても信書送達には保証がないことなどが判明した。今後の送付物に関しては送付方法を再考して確実に届く最良の手段を選ばなければならない。 以上
 
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2009年7月号          題名:阿修羅展と書道展      小島 健(英・数・社 担当)

 私にしては珍しく、ここ何ヶ月かで二度の展覧会に行く機会がありました。一つは『阿修羅展』です。ニュースでもだいぶ話題になっていたので、みなさんもご存じのことと思います。最近では若い女性にも仏像好きが増えているらしく大盛況だったようです。

さて、そんな阿修羅展ですが、当初は「ああ、東京に来るんだ。」ぐらいでいました。その後、阿修羅像を奈良から東京へ運ぶドキュメントを見て興味を持ち、行ってみようかと思うようになりました(この移送作業の指揮を執ったのは日本通運のあるベテラン社員で、この作業を任せられるとしたら日本でこの人しかいないのだそうです)。

見に行ったのは最終日だったので、混雑を覚悟して入場締切二時間前に会場へ着きました。すると博物館前にあると思っていた列が見当たりません。既に二回行った知人から聞いていた様子と違うので、「ん?ここだよな?」と不安を覚えつつ近付いていくと、そのままスーッと入れてしまいました。「ラッキー。」と思いつつ会場へ。が、中はさすがにすごい人です。それでも私は身長があるほうなので、他の方の頭上から失礼して見学です。今回は阿修羅の仲間達も来ていて、彼らが先に出てきます。正面だけでなく背面も見られるので、一応一体一体裏にも回って見学します。腕組みをしながら、たまに「ほ〜っ。」といった感じで首を傾げたりしますが、「よく彫ったな〜。」とか「ほんとに怖い顔してんな。」などとごく普通の感想を抱くだけです。でも、そんなありきたりなことをしみじみと感じさせるほどによく彫ってあるのです。

そして、いよいよ阿修羅像へ。スロープを下りていくと、円状の人だかりが。大きな丸い台の上に阿修羅像が立っていて、その周りを三層ぐらいの人の円が囲っています。係員もその中に混じって「時計回りで移動して下さ〜い。」とペースメーカーの役割を果たしています。「大変だな。」と思いながら、これまた後ろで頭上から見学です。顔を三つ持つ阿修羅像ですが、どれも違う表情をしています。一番有名な正面の顔、それが夏目雅子に似ていると聞いていたのですが、見ると確かに似ています(正確には夏目雅子が阿修羅に似ているのですが)。それも発見でしたが、さらなる発見は三本の腕の生え方でした。縦に三本並んでいると思っていたのですが、実際は横に三本並んでいたのです(筋肉マンに出てくるアシュラマンはそうでなかったような気がするのですが)。一周で終わりにしてもよかったのですが、せっかくだから三周して終わりにします。
その後、「メインが終わった。あとは何があるんだろう。」とあまり期待せずに先へ行ったのですが、そこで立派な菩薩立象に出会いました。造形美的な良し悪しは分かりませんが、何となくいい感じです。その前にいると心地がよく、しばらく眺めていました。「今まで展覧会なんか来る機会はなかったけど、いいもんだな〜。」と思いながら帰路に就きました。
 

そして、ついこの間。今度は『毎日書道展』に行ってきました。書道の先生に招待券を頂いたので、東京へ行くついでに見に行ってきました。書道の先生から事前に「書として見るんじゃなくて、絵として見てきた方がいいわよ。」と聞いていたので、それを頭に入れつつ会場へ。確かに前衛的?なものが並んでいます。掛け軸に横書きに書いてあったり、英語が混ざっていたりするものもありました。ずいぶんな数の作品が展示されていたので、あまりゆっくり見ていると時間が掛かってしまいますし、自分があきてしまうので、スーッと見て回ります。「この線が―――。」などと言う観覧者の声が聞こえたりしますが、良し悪しは私には分かりませんので「?」と次へ行ったり。時々、何となく気になるものがあると立ち止まってみますが、それでも心地よく感じるものとそうでないものとがあって、心地いいものは眺めてみます。閉館時間が迫っていたので、最後は早足で見ることになりましたが、それでも十分楽しめました。今まで展覧会というものは敷居が高いと感じていたのですが、そんなことはないんだなと思うようになりました。審美眼はなくても、何となくいいと感じるものがあれば結構満足するんだなと。今後も機会を見つけて足を運んでみようかなと思います。


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2009年6月号          題名:土浦連続殺傷犯単独インタビュー      石田 俊吾(数・理 担当)

 2008年3月23日午前11時ごろ、JR常磐線荒川沖駅構内で文化包丁とサバイバルナイフを使って男女8人を次々と刺し、茨城県阿見町の会社員、山上高広さん=当時(27)=を殺害、7人に重軽傷を負わせた。この事件の4日前には、土浦市の無職、三浦芳一さん=当時(72)=方の玄関先で三浦さんを文化包丁で刺して殺害した。これが土浦連続殺傷犯金川被告の起訴事実である。

 同年9月25日午前8時半、産経新聞がこの金川被告との単独インタビューに成功しました。1日に面会できるのは1組のみ。被告本人が応じなければ面会できない。そのような中、インタビューに応じた金沢被告とは何者なのか?その一部始終をどうぞ・・・(なお、今回のひとことは産経新聞の記事を参考にさせて頂きました。)



 《水戸拘置支所の窓口が開いたと同時に、金川被告との面会を申し込んだ。1日に面会できるのは1組のみ。被告本人が応じなければ面会できない。待合室でしばらく待つと、自分の受け付け番号がアナウンスで呼び出された。金川被告が面会に応じるという。刑務官に促されて携帯電話などをロッカーに預け、金属探知機で検査された後、面会室に足を進める》

 《無人の面会室に入り、椅子に座る。4畳半ほどの部屋はガラス板で被告と面会者の席が仕切られている。包丁を持って駅構内を駆け抜け、8人を殺傷した男との対面が間近に迫り、記者の緊張感も高まる。待つこと約1分、男性刑務官に伴われた金川被告が入室してきた》

 《送検時の映像と同じ丸刈り。グレーのTシャツ、紺の短パン姿で、口の周りには無精ひげ。逮捕直後のような眼光の鋭さはなく、歓迎するような視線だ。金川被告は、はにかみながら着席した》


 刑務官「社名を教えてください」

 記者「産経新聞です。金川さん、あなたが何を思って事件を起こしたのか、あなたの言葉で教えてほしくて面会にきました。取材に応じてくれますか」

 《金川被告は、ほほ笑んだ表情をさらにゆるめてコクリとうなずいた。凶悪というよりは弱々しさを感じさせる雰囲気に、「学校にいる目立たないクラスメート」という印象を持つ》

 記者「『死刑にならなかったら、どうしよう』という不安を持っていると週刊誌のインタビューに答えていますが、その気持ちに変わりはないですか」

 金川被告「ないですね。この世の中から消えてしまいたい」

 記者「高校を卒業したころから、人を殺したいと思うようになったそうですが、このころから死にたいと思ったのですか」

 金川被告「そうですね」

 記者「なぜ死にたいと思ったのですか」

 金川被告「生きていることがつまらなくなったんですよ」

 記者「何かきっかけがあったのですか、嫌な出来事があったのですか」

 金川被告「特にないですね」

 《茨城県警の調べに「死刑で死にたくて事件を起こした」と供述していた金川被告。動機を尋ねられることが嫌なのか、つまらなそうに淡々と答える。金川被告が人生に絶望した理由は、聞き出せない》

 記者「死にたいと思い、その手段として事件による死刑を選んだのですか」

 金川被告「そうです」

 記者「自殺するという方法もありますが?」

 金川被告「自殺というのはどんな方法であれ、自分で自分の体に痛みを加えることになるでしょう。そんな勇気はなかったですね」

 《「当然でしょう」という口ぶりだ》

 記者「あなたに刃物で切りつけられた被害者たちは、かなり痛みや恐怖を感じたと思いますが?」

 金川被告「関係ないですね」

 記者「傷つけた相手や遺族に対して、申し訳ないと思う気持ちは?」

 金川被告「ないですね」

 《ニヤリと笑う金川被告。その表情からは、罪のない2人の命を奪い去ったこと、7人の体を傷つけたことへの罪悪感、後悔が感じられない》

 《これまでの捜査では、金川被告が通り魔事件の4日前、「母親に口答えするから腹が立った」妹の殺害と、母校の小学校襲撃を計画していたことが明らかになっている》

 記者「当初は妹さんと小学校を襲う計画だったみたいですが、学校時代に嫌な出来事があったのですか」

 金川被告「ないですね。特にきっかけはなかった。ただ生きていることがつまらなかった。自分が通った学校は建物の構造を知っているし、先生が職員室や教室に入っているから、確実に殺人をできると思った」

 《しかし当日は学校で卒業式が行われ、保護者や教職員が大勢いたため断念。学校近くで偶然見かけた三浦さんを殺害した後、JR荒川沖駅での凶行に走る。世間を震撼させたこの通り魔事件は、6月に東京・秋葉原で17人を殺傷した加藤被告に大きな影響を与えた。加藤被告は金川被告の犯行を参考にし、殺傷能力の高い「ダガーナイフ」を購入した》

 記者「秋葉原の事件を知っていると思うけど、加藤容疑者(当時は起訴前)はあなたを意識し、犯行にナイフを使ったと供述していますが?」

 金川被告「うれしいですね。ただ、うらやましくもある。僕より人を殺しているから。それだけ、罪が重いから」

 記者「つまり、死刑になる確率が高くなるということですか」

 金川被告「そうですね」

 《ゲームの点数を競うかのように加藤被告をうらやむ金川被告。その狂気に戦慄が走る》

 記者「加藤容疑者は、会社などがうまくいかずに犯行に及んでいますが?」

 金川被告「おかしいと思う。彼は自分がうまくいかないことをすべて他人のせいにしていた。彼は八つ当たりで人を殺している」

 記者「加藤容疑者とあなたの違いが、僕には分からないのですが?」

 金川被告「僕はただ、この世の中から解放されたかっただけ」

 記者「ファンタジーの世界に行きたいと、インタビューに答えていますが?」

 金川被告「死んで、ファンタジーの世界に行きたい。向こうでは攻撃の魔法を使いたい」

 記者「攻撃の魔法で他人を傷つけるのですか」

 金川被告「違います。人間を支配しようとする悪者を倒すんです。人々を守りたい」

 記者「皮肉に感じる。今生きている世界では、その人々を傷つけたわけでしょう」

 金川被告「この世界から消えたかったんです」

 《約10分間の面会では終始にやつき、被害者と遺族への謝罪、事件への悔恨の言葉は最後まで出なかった。思いやり、感情が欠如した通り魔に更生は期待できないと感じた。金川被告は雑誌を読んで時間をつぶしながら、死刑判決を待ち望んでいる》




 2009年7月3日、第5回公判行われましたが、閉廷間際、裁判長から2カ月先となる次回期日を告げられた金川被告は、自らが望んでいる死刑が遠のいたと感じたのか、突然、被告席前の机を無言のまま押し倒し、怒りをあらわにしたそうである。



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2009年5月号          題名:ハードカバー VS 文庫本      小島 健(英・国・社 担当)

 以前にも書きましたが、私は割と本を読む方だと思います。読むのは主に小説ですが、文庫本は買わずにハードカバーを買います。たとえ読みたい作品が文庫本で出ていたとしても、わざわざハードカバーの方を買ってしまいます。価格を比べたら、文庫本だとハードカバーの三分の一程度で買えるのですが、それでも、です。読みたい本が次から次へと出てくるので、「文庫本で買った方が安いよな〜」とも思うのですが、なかなか手が伸びません。どうしてかというと、文庫本が本棚にたくさん並んでいる様を思い浮かべても何だか味気ないものに感じられてしまうからです。文庫本の場合、出版社が同じであれば、背表紙の色・デザインはどれも同じです。が、ハードカバーは出版社が同じであっても、色はそれぞれ違いますし、大きさも違ったりすることがあります。いわば、本それぞれに個性があります。こう書いてきて、『表紙から何からひっくるめての本』というものが好きなんだということを再認識しました。そういえば過去に何度か『表紙買い』(CDで言うところの『ジャケ買い』です)をしたこともあります。と、そんなことを思いながら本を読んでいると、今まで意識していなかったものが目に付くようになってきます。それは、ブックデザインをした人物・会社のクレジットです。

 ブックデザイナーとは、古くからある?言い方をすると装丁家です。現代で有名なのは祖父江慎さんという方(もちろん他にもいらっしゃるのでしょうが、私が以前から知っていたのは祖父江さんだけでした)で、この方は京極夏彦さんの『どすこい(仮)』や吉田戦車さんの『伝染るんです』などの装丁で知られています。『伝染るんです』は私も持っていますが、わざと乱丁・落丁が施されていて、発売当時話題になりましたが、それが祖父江さんによるものだと知ったのは最近のことです。私が持っている本の中で、祖父江さんによるものはこの『伝染るんです』だけですが、一番多いものとなると鈴木成一さんによるものでしょうか。これは、鈴木さんデザインのものを狙って買っているのではなく、好きな作家の本を買ったらたまたまそうだったというだけなのですが、確かに記憶に残っている表紙・パッと思い浮かぶ表紙が多いように感じます。そうなってくると不思議なもので、「その表紙以外ではちょっと想像が付かない」という気になってきます。まさにそれが装丁家の仕事なのでしょう。お気に入りの作家はもちろん、お気に入りの装丁家というものがいても面白いですよね。そういった目線で本屋に行けば、また違った楽しみが生まれるのではないでしょうか。

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2009年4月号          題名:体力増強計画経過報告      幡谷 隆 (数学 担当)

 相変わらずぼちぼちとジム通いを続けています。週に2〜3回、通うことを目標にしていますが、都合がつかず思うように行けない時期もありまずがそれでもどうにかこうにかはじめてちょうど2年になります。この半年くらいは体重の減少は止まり、と言うかむしろ増加傾向にあります。筋力アップのトレーニングメニューを増やしているせいか体脂肪率は減少していますので、筋肉がついてきたための体重増加と自分を納得させています。

 まだまだ明らかに余分な脂肪が体中にまとわりついていますので、トレッドミル(ルームランナーのしっかりとしている機器)での有酸素運動にて、60〜90分はウォーキングとジョグを行い1200〜1700kcalの消費を心がけています。でもこれが正直言ってつらい・・・。風景の変わらないところでひたすら走り続けるのは退屈との闘いでもあります。退屈を紛らすためにMP3プレーヤーで音楽を聴いてみたりジムの正面にあるドラッグストアに入る客の数を数えたり、道路を走る車の中に自分のとおなじ車種は10分間に何台通るかを予想してそれが当たるかを実際に数えてみたりと、運動の辛さに気持ちが集中することを避けるように工夫?して走ったり歩いたりの時間を過ごしています。

 トレーニングメニューの組み立ては基本的には自分で決められるのですが、マシンやダンベル等を使ったウェイトトレーニングもトレッドミルと同じくひとつひとつはシンプルな運動ですので慣れてくれば当然気持ちもだれてきがちです。汗をたくさんかいた後の爽快感は何とも言えないほど素晴らしいものですが、トレーニングの内容は全体的にマンネリ化しつつありました。

 しかし、そこにも救いの手をのばしてくれた方がいたのです。御歳は80歳を超える男性で、以前からジムで時々お話をさせて頂いていましたが、「最近、エアロビクスのレッスンに出ているんだよ。楽しいから一緒にやろうよ!」と、驚きのお言葉。エアロビクスは女性の行うものと決め付け、運動量もたいしたことがないと思っていた無知な自分には、これまで「エアロのレッスン」の発想は全くありませんでした。実際、誘われるままにスタジオに行ってみると女性の方が圧倒的に多いのですが、男性も少々参加していて、それよりも運動量が想像の域を超えるくらいに多いことに驚きました。

 その後、そのプログラムに参加すること数回。すると楽しさも増してきました。エアロビクス・ダンスは、動きがきわめて変化に富んでおり、運動それ自体にもリズムにあわせて踊る楽しさがあり、さらに自分で運動量をコントロールできることから、女性だけでなく、だれにでも勧められる運動だと実感しました。このメニューを追加することで、ジム通いにもメリハリができるようになりつつあります。

 太りにくい体質にするためには、もっと筋肉を増やし基礎代謝量をアップさせなければならないのですが、今年はエアロビクスのおかげでほかのトレーニングも飽きることなく続けることができそうな気がしています。

エアロのステップについてはまた次回・・・。


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2009年3月号          題名:知るアンテナを読んで        石田 俊吾 (数・理 担当)

 小島先生は、音楽・本・映画に知るアンテナをのばしているようですが、私もこれら3つは嫌いではありません。音楽も聴くし、本も読みますし、映画を観るのも好きです。でも、最近の音楽に関しては全然解りません。多分それほど好きでは無いのでしょうから、アンテナものび悩んでしまうのでしょう。私自身が二十歳よりは若い頃、最近話題の小室哲哉は絶頂期で、本当に彼の音楽は同世代でしたら、誰もが口ずさめたでしょう。こんな私でも当時の売れている歌は、ほぼ全て分かりました。土曜日深夜のカウントダウンTVもよく観ていました。

 しかし、今はどうでしょう?最近売れている歌はどんなのがあるのかな?と思ってカウントダウンTVをたまに観たりしますが、50曲中知っているのは10曲もありません。昔、親の世代が言っていた「最近の歌は、どっちが曲名でどっちが歌手名か分からん!しかも速くて何を言っているのかわからん!」のセリフ!!そっくりそのまま今の私が言っています。「サビだけでも聞いたことがあるでしょ。」とか「CMで流れているじゃん。」とか言われても、自分でも悲しくなるくらい聞いたことが無いのです。分からないのです。何なのでしょうか?この鈍感さ!アンテナが全然のびていないのでしょうね。CMで流れていても、耳に入って来ないのでしょうね。

 そんな私でも、たまにCDを借りて車で聞いたりします。でも借りるものは大体がBEST版。そんなBEST版でも聞いた事が無い曲があるぐらい私の知識は希薄です。ちなみにレミオロメンの曲は3月4日だと思っていました。


 この前、小島先生と生徒達が何やら不思議な話をしていました。これはこの世の話ではないと思い、「映画の話か?」と聞いたら、世にも奇妙な物語(テレビ)の話でした。生徒とのコミュニケーションをうらやましく思い、ついに我が家にも録画機を導入しようかな?と思った瞬間でした。瞬間という言葉に引っかかるが、小島先生はHDDレコーダーが世の中に出てまもなく購入したそうですが、私は未だに持っていません。しかも、欲しいともあまり思っていません。その時点からアンテナが伸び悩んでいるのでしょう。


やはり私はこういうメディア関係のアンテナは伸びていないのでしょう。あらためて気付きました。では、私のアンテナはどこに伸びているのでしょう・・・・・温泉かな?

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2009年2月号          題名:知るアンテナ        小島 健 (英・国・社 担当)

 人にはそれぞれ詳しいモノ・分野がありますよね。極めていなくても構いせん。他人よりちょっとは知っているというレベルで。例えば、私は音楽・本・映画といったものに興味があるので、それらに関する話題であれば他人よりは知っている方だと思います。生徒たちも音楽が好きですからその手の話題が出ます。

 生徒:「○○(歌手名)の××(曲名)って歌がいいんだよ。」
 私 :「曲は知らないけど名前は知ってる
 生徒:「何で知ってるの?」・「よく知ってるね。」

などということがあります。

 確かに、歌手名・バンド名・映画のタイトル・俳優の名前など、自分でもよく知っていると思います。でも、何で知っているのかをあらためて考えてみてもよく分かりません。いや、正確に言えば、あらためて考えてみても分からないほど、そういった情報の入手経路が自分にとって自然になっているのでしょう。『好きこそものの上手なれ』ではありませんが、好きなものに詳しくなるのは当然のことですよね。好きなモノに関する情報は自然と入ってくる・知ろうと思わなくても知ることができるという気がしていたのですが、それは上のような理由からなのでしょう。

 逆に、自分の興味のないモノに関する情報はほとんど入ってきません。最近テレビで、サッカー日本代表であるの遠藤選手の『コロコロPK』というものを知りました。ゆっくりとした助走から蹴られたボールが、ゆっくり転がってゴールへ入っていく様は面白いです。PKを決められたチームの監督も苦笑してしまうほどです。「何でこんな面白いモノ、今まで知らなかったんだろう?」と思いましたが、それはやはり私がサッカーに興味がないから、なのでしょう。野球もいつの間にか始まったと思ったら、いつの間にか日本一が決定しています。

 何かに詳しくなりたければ、それに興味を持つことが一番ですが、それに興味を持つということは、もうすでにそれに関心があるということですよね。ゲームやマンガで出てくる言葉はすぐに覚えてしまうと思います。好きでないものに詳しくなろうとするのは大変ですが、勉強も同じようであればいいと思いませんか。勉強もじっくりと取り組んでみれば関心の持てる部分があるのではないかと思います。そして、私たちもそういった手伝いができればいいと思っています。

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2009年1月号          題名:昔なくて今あるもの        幡谷 隆 (数学 担当)

真冬を迎え寒い日が続きますね。朝起きるとまずファンヒーターのスイッチを入れ、それだけでは足りずエアコンの暖房もONにします。起きてきた子供たちはコタツの電源を入れ、さらにホットカーペットも点けてみたりと、あっという間にぬくぬくした空間が出来上がり、快適な時間を過ごすことができます。とても恵まれた環境で生活していることに満足する瞬間でもあります。
 
 遡ること20数年前、私は大学に通うため、北海道で独り暮らしをしていました。暖房設備は電気こたつと石油ストーブ。それでも十分満足すべき環境だと思い込んでいました。市場ではファンヒーターが主流になりつつありましたが高価なものゆえ購入できず、しかし育った家にはその頃まだ石油ストーブしかなっかたのですから、購買意欲も持ちませんでした。自分としてはその時点では十分な環境だったわけです。しかし、部屋の中に転がして置いたキャベツが朝になると凍っていたり、木枠の二重窓の内側に雪が積もっていたり、台所のシンクの中に食器を水に浸しておいたら巨大な氷ができている部屋の中は確かに寒かったのかもしれません。不満はあまりなかったですけどね。
 
 電子レンジ、食器洗浄機、乾燥機、デジタルカメラやビデオカメラ、携帯電話、パソコン、電子辞書、加湿器、空気清浄機、ファックスやコピー機など、今や各家庭には殆ど置いてあるものがこの20年ほどに普及してきたものです。価格も発売当初に比べると安価になり、なおかつ性能は格段に向上しています。商品のプロモーションを見聞きするとその便利さにうなり、必要不可欠なものと考えてしまうものばかりですが、冷静に考えると、本当にそうなのか疑問に思うこともしばしばです。

 2011年にはアナログ放送が終了になるそうですが、我が家にはまだ薄型テレビやデジタルチューナーは導入されていません。薄型テレビも今や種類も非常に多く、価格もどんどん安くなっています。そして何より、非常に「きれい!」。従来のブラウン管の画質とは比較にならないほど鮮明で、ノイズが少なくしかも省電力ゆえにエコ。家族からは「欲しい〜!!!」という声ばかりが聞こえていますが、「アナログ放送の最後の瞬間を見てから購入を検討する!」と、妻や子どもたちには宣言しています。今のテレビが壊れて映らないのなら考える余地もあるけれど、まだまだ十分に機能しているものがあるのにもかかわらず新しいものを欲しがるなんて教育上よくないのでは、と考えているからです。けれど本当は自分があまりアナログ放送のテレビを見ていないというのが理由かも知れません。(CSのスカパーはよく見ますけれどね・・・)
 いつのまにかあって当たり前、なくてはならないものになっている多くの生活家電を買いそろえることに執着しないように、自分に言い聞かせているこの頃の私です。


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