| 08年12月号 題名:我慢 石田 俊吾 (数・理 担当) |
授業中に学校での出来事についての話をするのですが、その中でも、学校での授業中の話を聞くと、生徒の私語でうるさいと聞きます。それもそんな学校が1つでは無いようなのです。 私の頃は、ヒソヒソとちょっとした時間だけ私語をしている生徒はいたかもしれませんが、全体がやかましくなるということはありませんでした。でも、現在は授業中なのにうるさいと聞きます。どうしてそうなってしまったのだろうか、ちゃんと勉強している人に迷惑だとかは考えないのであろうか?私もそうでしたが、中学生ではそこまで考えないのは当たり前かもしれません。 学校では、運動が出来るとヒーローになれますが、勉強が出来るからといってそうはなりません。それどころか「ウザイ」とまで言われてしまったりします。不思議ですよね。運動だと「自分には無理だ」と諦めてしまって、出来る人がすごいと思えるが、勉強は心のどこかで「自分も勉強すれば出来るようになる」と思っているため、出来る人がすごいと思われないのかもしれません。だから、出来る人に対する「羨ましさ」から「ウザイ」になってしまうのかもしれません。 「ウザイ」存在にまでなってしまうくらいだから、そんな人に対して迷惑などという事は考えないのは当然かもしれません。しかし、授業中は静かにする、というのは言われなくても分かっているはずですが、それが実行出来ない。なぜなんだろう。しかし、これは単に生徒だけが悪いという問題ではないような気がします。もちろん学校の先生にも原因があるでしょう。それだけではありません、教育委員会や保護者の責任、またそうなってしまった今の世の中にも原因があるのかもしれません。 先月、栃木県にて中学2年の女子生徒が、酒を飲んだ上、男性教諭らを殴って、鼻の骨を折る約1カ月の重傷などを負わせたという事件がありました。もちろん、飲酒運転の上ひき逃げ事件を起こす大人もいるのだから、子どもばかり責めるのは間違いですが、中2にもなれば、酒を飲んでみたいという好奇心が出ることは不思議ではありません。またそれを実行してしまっても「これはいけないことだ。」と分かっていて行っているのが普通の人だと思います。しかし、この生徒は教諭達を殴ったというではありませんか。自分たちが悪いことをしていると思って無いのでしょうか。ヤバイと思って逃げるのが普通でしょう。(ここで普通という言葉はふさわしくありませんが・・・)一体この女子生徒は、何を考えているのでしょうか。私には理解できません。恐らく高校入学は無理でしょう。 もちろん、昔の子は全員がよい子で今の子は全員が悪い子というわけではありません。昔でも悪い子はいたでしょうし、今でもよい子はたくさんいます。ただ、子どもだけではなく大人の世界でも、仲のよい人達以外の交流が減ってきているように思えます。そんな所から、自己中心的な世界になり、我慢という言葉を忘れ、他人への気遣いが減ってきているのではないでしょうか。 |
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| 08年11月号 題名:グッドデザイン 小島 健 (英・国・社 担当) |
みなさんは『グッドデザイン賞』というものをご存知でしょうか?この賞はただデザインに優れているだけでなく、私たちの生活を豊かにしてくれるものに贈られる賞で、例えば、古いものでは『キッコーマンの卓上醤油瓶』、タコ足配線を可能にする『トリプルタップ』、最近のものではフィットネス機器の『ジョーバ』、三洋電機の乾電池『eneloop』などが受賞しています。また選考対象はものだけに限らず、『フジテレビ「とくダネ!」検証ニッポンの医療』なども受賞しています。そんなグッドデザイン賞ですが、去年たまたま受賞作品の展示会を覗く機会がありました。さすがに受賞作品だけあって、使ってみたいものや行ってみたい建築物など、興味を引かれるものがいっぱいでした。そして今年も受賞作品が決定したとのことなので、展示会に行ってきました。そこには受賞作品のほんの一部が展示されているだけなのですが、それでも、『組み立て式和室』や『無印良品 窓の家』など面白そうなものがありました。中でも一番気に入ったのは『チチヤス牛乳のパッケージ』です。マスコットキャラクターであるチー坊のイラストが印刷されたどこか懐かしさを感じさせるデザインで、「牛乳は普段飲まないけど、パッケージが欲しいから買おうかな。」と思ってしまうほどでした。後で調べてみたところ広島近辺でしか手に入らないと分かり、ちょっとがっかりです。「あ〜、満足した。」と会場である六本木ミッドタウンのデザインハブを出てブラブラしていると、同じミッドタウンの地下ホールでデザインに関するまた別のイベントが行われているというポスターを発見しました。さっそく会場の方へ行ってみると、ずいぶんと人が出入りしています。こちらはお金を取るので、グレードが高そうです。少し迷いましたが、入ってみることにしました。 そこで行われていたのは『DESIGNTIDE TOKYO』というイベントで、「さまざまなジャンルの作家たちが各々のデザイン活動を発表する場」だそうです。会場は思ったよりも狭かったのですが、人が多くて全てを見るにはなかなか時間が掛かりそうです。「でも、くまなく見るぞ」と順に見ていきます。たまたま空いているスペースがあったので行ってみるとオリンパス出展で、女性社員が私に商品の説明をしてくれます。丁寧な説明に「どうも」と言って失礼します。企業も複数参加していましたが、ほとんどが個人かまたはそれに準ずる形の参加で、そういった所には近付きやすく説明も「ほ〜」と聞いていられました。やはり、みなさんデザイン活動をされている方たちだけあって面白かったのですが、ひときわ私の興味を引いたものがありました。それは「鍵をつけなくても大丈夫なドア」です。本当の名前は違うのですが(作品名は『stereotype』といいます)、説明書きには『このドアは容易には開けることはできない』と書いてあります。係の女性に「挑戦してみますか?」と言われ、いざ挑戦です。真っ白なドア、その右側に金色の取っ手が付いています。取り敢えず押しますが、動きません。ちょっと見回してみると蝶番が見当たりません。「多分、違うよな〜。」と思いつつ、ドアを横方向に動かそうとします。が、やっぱり動きません。「もしかして、取っ手の付いてない方か。」と思い、そちらを押してみます。動きません。「う〜ん。」「取っ手の内側にレバーかボタンかそのようなものがあるのか」と思い探ります。が、何もありません。分からない、ギブアップ。係の女性に伝えます。すると、右側にあった取っ手をはずして(強力マグネットで付いていたのです)、それを左側にくっ付けてドアを引きあっさりと開けてしまいました。しばしポカ〜ンとしていると、「これは、ドアの取っ手は取り付けられていて外せることはないという人間の固定概念によって鍵をかけるドアなんです。」と説明してくれます。「へー、面白い。これ、開けた人はいるんですか?」と聞くと、「誰もいません。」とのこと。このイベントは5日間やっていて私が行ったのは最終日でしたから、結構な数の人が挑戦したと思います。それでも、開けた人が一人もいないとは。「すごいな〜。」と感心しながら会場を後にしました。実際に玄関のドアにするのは無理でしょうが、どこかで使ってみたいと思ってしまいました。興味のある方は来年覗きに行ってみてはいかがでしょうか。きっと面白いものに出会えると思いますよ。 |
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| 08年10月号 題名:読書の秋 幡谷 隆(数学 担当) |
10月になると一日一日と気候が変化し、冬が近づいてくることを実感します。紅葉も見ごろを迎え、まさに食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋・・・と何をするにも良い季節です。そういった秋にふさわしく、今回はダイエットネタではなく私の最近の読書に関する独り言を書き留めたいと思います。 趣味で読む本の選び方はいろいろあると思います。幅広くさまざまな分野の本を衝動的に選ぶ人、推理小説に限って読む人、随筆しか読まない人、啓発本が好きな人など、本屋さんに行っても本の探し方には個性があると思います。私はと言えば、以前から「作者」に絞って本を読む傾向が強いと思います。同じ作者の作品であれば、文体は同じですから、非常に読みやすいということが私にとって重要なことなのです。まぁだれでも読みにくい本は読んでいてつらいものですからね。 思い返してみると、司馬遼太郎の歴史小説にはまっていた時期もありますし、夏目漱石などのいわゆる純文学を読み続けていた時期あります。ハードボイルド小説に凝って大藪春彦の小説や映画を見まくった時期もありました。内田康夫の推理小説を読みながら日本各地を旅した気分に浸っていました。最近では宮部みゆきさんや乃南アサさん、などのノンフィクション系の推理小説(ばかりじゃないのですが・・・)が好きですね。特に東野圭吾氏の作品は文庫本になっているものはほとんど読みました。50〜60冊はあると思いますが、次から次へと面白さの余り読み進めてしまう作品ばかりです。ドラマ化や映画化を多くされるのも納得です。最近映画化された「容疑者xの献身」などは多くの方に知られている作品の一つだと思います。機会があればぜひ見てみたいと思います。 東野圭吾の数多い作品の中で、個人的に一番印象に残っているのは「さまよう刃」ですかね。少年法や復讐の賛否など、いろいろ考えましたが、ここまで自分でいろいろ考える事が出来る作品は「手紙」以来です。 「白夜行」は東野ファンの中では一番評価が高いようです。その続編と称されることのある「幻夜」も長いけれどぺージをめくるスピードがどんどん増していく魅力があります。 その他、読みやすいのは「トキオ」、「分身」、「レイクサイド」、「ゲームの名は誘拐」あたり。本格推理物が好きなら「ある閉ざされた雪の山荘で」、「私が彼を殺した」、「仮面山荘殺人事件」、「容疑者xの献身」。 笑いたいなら「超・殺人事件」、「名探偵の掟」、「怪笑小説」。泣きたいなら「秘密」、「手紙」、「変身」ってとこでしょうか。 と、いうわけで東野圭吾の作品の宣伝のようになってしまいましたが、現在出版されているものを読み終える時が近づいてきました。もう一度印象に残ったものを読み返すのも面白いと思いますが、他の作者にも目を向けたいとも思います。本屋さんに行ってお勧めの作者を探してみようと思います。 |
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| 08年9月号 題名:911or9.11 石田 俊吾 (数・理 担当) |
この文を作成している今日の日付は、9月11日です。 そう、そうなのです。9.11です。アメリカ同時多発テロ事件の日です。時が経つとは悲しいもので、何度もテレビで放送された、あの衝撃的な映像を忘れそうになりました。 ちなみにみなさんは、何年前にこの事件が起きたか覚えていますか?そうです、7年前の2001年です。2001年といえば、21世紀になった年でした。たくさんの予言者が色々なことを予言していたり、携帯電話が使えなくなったりしました。(んんっ!?それは1999年から2000年になる年か!?) 話はアメリカ同時多発テロ(9.11)に戻りますが、当時のテレビでは、通常番組を中止し緊急特別番組を放送しました。CMも流さず放送し続けた局もあったようです。旅客機が貿易センタービルへ追突する映像をみなさんも最近のことのように覚えているのではないでしょうか?まさに映画のような映像でした。(映画批評家からは、臨場感のなさ、機内状況の欠如、同一の映像の反復という点において、映画というよりも、やはり、テレビ的というべきものだと反論があったようです。)確かに、当時私自身もその貿易センタービルに旅客機が追突してから、崩れ落ちるまでの映像を釘付けになって観たような記憶があります。 さてそこで、 その崩れ落ちる映像を観ながら不思議に思いました。 それは、 「綺麗に崩れるものだな。」 と思った事です。 旅客機が衝突した部分から上の階が崩れ、その重さで下の階が崩れた様子でしたが、旅客機はビルの上の方に衝突しました。つまり、衝突した部分の上の重さが、下の階を潰せるほど重くはないと、私は思いました。でも現実に起きているのだから、否定はしませんでした。 しかし、 「アメリカ同時多発テロ事件陰謀説」たるものがあるらしいことを、最近知りました。この内容を知ると、陰謀説を信じたくなってしまいます。だが、そこまでやるか!?と私個人は思ってしまいますが、みなさんはどう思われますか? (今回の講師のひとり言は、ウィキペディアを参考にさせて頂きました。ちなみに、「9.11」ではなく「911」で検索してしまうと「911は自然数、また整数において、910の次で912の前の数である。」と出てしまいますので、ご注意を・・・) |
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| 08年8月号 題名:忍びの城 小島 健 (英・国・社 担当) |
以前こちらで紹介した「のぼうの城」(豊臣軍が関東攻めを行った際に、唯一落ちなかった城の話です)の作者が二冊目を刊行しました。タイトルは「忍びの城」。今回は伊賀忍者軍 vs 北畠信雄(信長の次男)率いる伊勢軍との戦いを描いたものです。前作もうそうでしたが、今作もマイナーな戦い(私が知らないだけ?)にスポットを当てています。が、そこは作者の技量なのか楽しんで読むことができました。今作は伊賀の忍者「無門」が主人公。その無門(「この男の前に門は無し」ということで、この名で呼ばれています)は伊賀一の忍者。その活躍ぶりが描かれているのですが、忍者は感情を持たないもの。そこが武士とは違うところ。武士を描いた前作「のぼうの城」とも違うところです。そのロボット「無門」が次第に人間「無門」に変わっていく、そこが一番の読みどころだと思います。 今回は、伊賀四千 vs 伊勢一万の戦い。数では絶対不利の伊賀忍者たちが猛将たちを手負いにし、大将首を取ろうかというところまで迫るのですが、その戦いぶりはまるでドラゴンボールのよう。特に無門は孫悟空かというほどの強さと身のこなしを見せてくれます。子供のころ、忍者にあこがれ紙で手裏剣を作って投げたり、忍者が毎日伸びる植物の上を飛んで跳躍力をつけたと聞けば、その植物が毎日伸びるものなのかも考えずにその上を飛んでみたり(正解は「麻」らしいですが)したことを思い出しました。大人になった今でさえ、あらためて忍者にあこがれを抱いてしまうほど、無門の強さは半端ではありませんでした。 しかし、忍者は実際どれほどのものだったのでしょうか?検索して調べてみたところ、戦闘は主な仕事ではなく、工作をしたり、情報収集をしたりといったことが主な仕事だったようです。ですから、「くのいち」と呼ばれる女性の忍者たちも活躍できたのですね。炎を出したり、水を操ったり、風を呼んだりといったことは本やテレビの世界だけのことのようです。ただ、情報収集をして帰還することが忍者の役目ですから、足の速さやジャンプ力といった身体能力を高めるトレーニングを積んでいたことは確かなようです。ですから、市井の人々や武士たちよりはそういった能力に長けていたことは確かなようです。また、植物や医学に関する知識も持ち合わせていたようで、現在でいうところのスパイが忍者のイメージに最も近いかもしれません。「ナルト」という忍者たちが活躍する漫画・アニメが子供たちに人気ですが、やはり忍者に対する一般的なイメージはああいったものであり、それは外国人にとっても同じようです。真実の忍者も十分かっこいいのでしょうが、ああいった常人離れした忍者のイメージはぜひそのままに残していってもらいたいとも思います。 |
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| 08年7月号 題名:競歩 幡谷 隆(数学 担当) |
8月中は夏期講習を行います。日中から夜中まで授業がびっしりと詰まっていて、いつもに比べると相当忙しくなる時期なのです。生徒も大変ですが、正直言って、講師陣もかなり頑張っているんですよ。 そんな8月ですが、他の楽しみもありますねぇ。そうそう、高校野球!真夏に白球を泥まみれ汗まみれになって追いかける高校球児の真剣な姿は感動とやる気を与えてくれます。テレビを見る時間があるときは必ず見たいと思います。 そして、今年の夏は何と言ってもオリンピックでしょう。開催地においては何かと問題を抱えているようですが無事に競技が進むことを心から期待しています。 これまでのオリンピックでは、テレビ観戦するにしても特に関心のある競技も決まっていなかったような気がします。マラソンの高橋尚子選手や柔道の谷亮子選手などが出たときは周囲の盛り上がりもありますからどうしても注目していましたが、競技種目に自分が学生時代続けていた剣道がないせいか、どの種目も同じ目線で見ていました。今回のオリンピックも谷選手が「母でも金」を為しえるのかとか、北島選手が世界記録を出せるのかなどなど話題が豊富なようですが、先日、テレビで競歩の山崎勇喜選手を紹介していた番組を見て俄然、応援する気持ちになりました。もちろん、ご存知の方も多いと思いますのであえて紹介はしないことにします。ネット上には大変詳しく紹介しているサイトがたくさんありますので、興味を持ったらぜひ、調べてみてください。 そもそもオリンピックに出場するアスリート達というのは常人とはかけ離れた能力を持つ、いわゆる「天才」の集まりで、こと競技に関しては、いわゆる普通の人が努力して到達できるレベルではないものと思っていました。この山崎選手はどうやら本当の「競歩」の天才のようです。もちろん、世界的にみればタイムが上位の選手はいるようですが、それでも上位入賞が期待できる力を持っている選手なのです。山崎選手が「競歩取ったら自分に何も残らないし、競歩しかないけど、自分の原動力は皆の応援で支えられている」と語っていました。本当にこの選手には「競歩」だけが向いているというところに非常に好感をおぼえて、とにかく頑張ってほしいと、応援しています。 みなさんもそれぞれ関心のある競技、応援している選手がいると思いますが、「競歩の山崎勇喜」を応援して下さい。 |
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| 08年6月号 題名:めん類 石田 俊吾 (数・理 担当) |
私は、めん類が大好きです。そば・うどん・ラーメン・パスタなど、どれもこれも大好きです。とはいっても、その中で日本のものは、そばとうどんですね。この日本でのめん類の、他のめん類との大きな違いは、素朴な材料でしょう。特にそばは素朴ですね。 スポーツもルールが少ない種目の方が難しいといわれますが、このめん類も同じなのではないでしょうか。ラーメンは色々な材料の組み合わせで作るので、それはそれで苦労しますが、そばは、(つゆはとりあえず置いといて・・・)そば粉と小麦粉しかありません。特に十割そばといったらそば粉のみです。それなのに色々な店で色々な味があるのは本当に不思議です。そんな色々な店を捜して食べに行くことが楽しくて仕方がありません。 そうやって捜してそば屋に到着するのですが、一つ気になることがありました。それは、辺鄙な所にあることです。もちろん街中にもおいしい店はたくさんあるのですが、なぜか辺鄙な所にもたくさんあるように思えます。その理由を自分なりに考えたのですが、まず一つ目は、山深いところの方が良い水があり、よいそばが育つからでしょうか。実際、信州そばは有名ですが長野県は山が多くよいそばが育つのでしょうね。二つ目めは、景色を見ながら食べることが出来ることではないでしょうか。例えば滝を見ながらそばを食う、なんてそばの味がさらに引き立ちます。ラーメンではそうはなりませんよね。三つ目はそば職人にはクレイジーな人が多いことではないでしょうか。愛想が悪い人や、突然店を休みににしたりとか、看板がないとか、そんな人達が店を構えるのですから、辺鄙な所に出来てもしょうがないですね。また、そんな店を捜してようやく辿り着いて食べるのですから、おいしいのも当然かもしれません。 私も自慢するほどのそば通ではありませんので、大したことはいえませんが、店を捜したり、見つけたり、メニューを選んだり、店の雰囲気をあじわったりと、食べることはもちろんですが、それ以外にも楽しみはたくさんあるのかと思います。それらを総合して「うまかった」となるのでしょう。特にラーメン屋に多いのですが、味にこだわりしすぎてつぶれてしまうという店も少なくありません。店主の腕は良いのだが、他のことに気が回らないためにそうなってしまうのでしょう。非常にもったいないです。そんな店を何とか助けてあげたく、出来る限り通いたいが、私一人では助けることはできません。そのような店主の方々に「がんばれ」というエールを送ることで今回のひとり言を終わりたいと思います。最後まで読んで下さってありがとうございました。 (追記:ラーメンをマイナス的に扱ってしまいましたが、もちろんそんなことはありません。実際、私はそば屋よりもラーメン屋の方をたくさん訪れています。) |
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| 08年5月号 題名:日本人と英語 小島 健 (英・国・社 担当) |
生徒から「先生、これ英語にして」などと言われて見ることがあるのですが、何といいましょうか、漠然としたことが書いてあるという印象を持ちます。とエラそうに言っていますが、そもそも日本語とはそのようなものなんだそうです。例えば、「一生懸命がんばります」であるとか、「今後ともよろしくお願いします」であるとかいった言い方は、英語圏の人々に言わせると、「何をどうがんばるんだ?」とか、「よろしくって何をどうしたいんだ?」と思ってしまうらしいのです。「がんばる」、「よろしく」といった言葉は非常に便利ですし、それが日本語の特徴でもあります。しかし、日本人が英語を話す場合にはそれが欠点になってしまうのです。 他にも日本語では不自然でないが、英語圏の人々には不自然に思えることがあります。例えば、「高校に行っても勉強を頑張りたいです」という言い方。こういった言い方は「高校に行って勉強をがんばるのは当り前なのに、何でわざわざそんなことを言うのだろう?」と思われてしまうようです。ですから、英語を話す時には、『なるべく具体的に言う』、『当たり前のことは言わない』といったことに注意することが大事です。それには、英語に訳す前の段階である日本語を具体的に書かなければいけません。これにはもちろん練習が必要ですが、『冗長な文章は書かかずに短文を重ねる』、『具体的に言うため数字を使う』といったことにまずは注意したらいいと思います。 それと、通じる英語においてはこれが一番大事かと思いますが、『日本語をそのまま英語にしてはいけない』ということです。日本語の文字どおりに英語にすると不自然な英語にしかなりません。極端な例を挙げますが、何かの投票で「木村さん、10票です」と誰かが言ったとします。これを英語にする時に「Kimura-san is 10 votes.」としたら通じません。例えば「Kimura-san got ten votes.」などのように言わなければ意味を成さなくなってしまいます。その状況で何を言っているのかを英語にしなければいけないのです。 「日本人は英語の学習に熱心だが、満足に話せる人はいない」とよく言われますが(かくいう私もそうです)、それにはやはり日本語と英語の違いというのが大きいのでしょう。日本語には日本語らしい言い方があるように、英語には英語らしい言い方があるのです。上に書いたこともそうですし、他にも、日本語は全て言わなくともといった面がありますが、英語ではそうはいきません。また英語は距離を縮めようとする言語ですが、日本語はそうではありません。こういった違いをまずは知ることが大事です。そうすれば、今後英語を見聞きする時にそれらのことに気が付くようになるはずです。言語の習得にはゴールといったものがないので、勉強し続けるしかありません。気長にやっていきましょう。 |
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| 08年4月号 題名:目標、メタボ脱出! 幡谷 隆(数学 担当) |
血圧低下およびダイエットのためにスポーツジムに通い始めてちょうど1年になりました。現在までの結果を報告します。 血圧に関しては1年前に180を超えていたものが、現在はおよそ135まで低下しました。日によって差はあるものの、かなり正常値に近づいてきたといえるのではないでしょうか?高血圧の家系ゆえと半ばあきらめていたのですが、この変化には胸をなでおろしています。まだまだ子どもも小さいのに健康を損なうわけにもいきませんからね。 そして、体重および体脂肪率もかなり減少しました。昨年5月に計測したところ、体重がおよそ96s、体脂肪率およそ37%(これじゃあ血圧も高くなるよ〜(>_<))だったものが、現在82sで23%程度になりました。すごいでしょう!!とは言え、標準値にはまだ届いていないんですけどね。それに、ここ、2〜3ヶ月は横ばいでして、妙に安定しています。トレーニング内容を見直す時期なのでしょう。 しかし、当初はこれほどまでの効果は期待していなかったのですが、予想以上に張り切ってトレーニングを続けることができたのは、環境と人との出会いがあると思います。専門のスタッフにトレーニングメニューを作ってもらい、励まされながら、家にはない高価なマシンなどを自由に使える環境は、当然運動するには最適なわけです。そして、大勢がもくもくと運動をしに来ている中においては、様々な刺激を頂くことができて、それがめげずに続けることができている大きな要因だと思います。 特に、ジムに通い始めて1カ月ほどしたころに、ある人(当時66歳、男性)とサウナルームで言葉を交わしました。その人は毎日ジムに通うことを日課とし、トレッドミル(いわゆるウォーキング&ランのためのマシン)などの有酸素運動で1000kcal以上を消費しているというのです。その頃の私は汗をしっかりとかき、へとへとになるまで歩いたり走ったりしても300kcalぐらいの消費でしたが、自分としては頑張っているつもりでいたのです。それなのに自分よりもはるかに年齢の高い方が「俺は毎回1000kcal以上はやるんだ。多い時は1200kcalを超える時もある。距離にして10qは走ってるんだ。」と軽く言いのけてくれたものですから、私にとっては強い刺激になりました。元来、単純な性格ですから、自分にもできないわけはない!毎回少しづつ増やしていけばそのうち1000kcalを消費できるようにもなるはずだ!!!と、発奮してしまいまして、それから、徐々に負荷をかけていき、現在は1700kcalの消費をするように心がけたトレーニングを積んでいます。 これからのトレーニングはベンチプレスなどの無酸素運動を徐々に多くして、持ち上げられる重さの記録を伸ばすことに比重を置くのも面白いかなぁと思っています。これも、ジムで知り合った人の影響ですが・・・。 経過についてはまた報告します。次回は、ひょっとしたら腹筋が割れてマッチョになりましたということになったりして。そんなことにはならないと思いますが、メタボからの脱出ができていれば最高です。 |
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| 2008年3月号 題名:エコ?! 石田 俊吾(数・理 担当) |
今年の1月に「アース」という映画を観に行きました。みなさんはこの映画を知っていますか?渡辺謙さんがナレーションを務める自然がテーマのドキュメンタリー映画です。 この映画は親子の北極ぐまのシーンから始まります。みなさんご存じの白くま君です。「ああっ!かわいい!」なんて思いながら見ていますが、地球温暖化現象により最初に絶滅するのが白くま君なのはご存じでしょうか?そう思うと、「かわいい!」なんて思いながら見ていられません。涙を流しながら白くま君を見るようです。 そんな白くま君を見ながら私はこの地球についてどのような「エコ活動」が出来るか考えてしまいます。 現在、色々なところで「エコ」という言葉を耳にします。聞いたことがない人、意味を知らない人はいないのではないでしょうか。みなさんは、エコ活動をしていますか?エコ活動といっても、思い浮かぶのは、残念ながら私にはゴミの分別や光熱費を下げる位しか思い浮かびません。 さて、ここからが重い話になりますが、私個人の考えだと、地球に対する最大の「エコ」とは、人間がいなくなることだと思います。全ての生物は食物連鎖でつながっていますが、人間だけがその中に入っていません。しかも、悪いことにこの食物連鎖を乱そうとしているのが現実です。そのような人間がいなくなれば、この地球の危機も救われるのではないか?と私は思ってしまうのです。 しかし、 人間には他の動物には無い、素晴らしいものを持っています。それは、自然を見て「美しい」と思えることです。 人間は、山登りや色々な冒険で生死を懸けてまでも自然と戯れに出かけます。冒険というと大袈裟ですが、ツアーなどの旅行も同じです。わざわざお金を払ってまでも、自然を見に行きます。これは人間にしかない素晴らしい感性だと私は思っております。また、自然といっても動物に対する気持ちも同じです。例えば、座礁しているクジラを助けることが出来るのは人間だけです。他の生物を見て、かわいい、かわいそう、と思えるのは人間だけです。 実際、地球温暖化のはっきりした原因は分かっていないと聞きました。ひょっとすると人間には原因が無いかもしれません。そんな時、この地球温暖化を食い止めることができる力を持っている生物は人間だけです。 つまり、人間は、この地球環境をコントロールできる唯一の生物なのです。先程、人間がいなくなることが最大のエコだといいましたが、本当はそんなことはありません。この前テレビで放送していましたが、今オランウータンが絶滅の危機にあるらしいですが、その保護活動をする人達がいます。このような人達は地球に無くてはならない存在です。その反面、森林伐採など地球を痛めつけている人間もいます。私は、オランウータンを助ける人間にまではなれませんが、地球を痛めつけないように努力することはできます。それを日々気にかけていることが「エコ活動」なのではないのでしょうか? |
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| 2008年2月号 題名:水の城−忍城 小島 健 (英・国・社 担当) |
先日、本屋で「何かおもしろい本ないかな〜?」と物色していたところ、とある本が目に飛び込んできました。黒い表紙に銀色の線で描かれた人の横顔にまず目が行き、その次に黄色い帯、そして、何より気になったのはその帯に書かれている文でした。「智も仁も勇もない、が人気だけはある。全く新しい英雄現る。」とあります。タイトルは「のぼうの城」。手に取って裏を見てると「この城、敵に回したが間違いか―。」の文字。何やら面白そうです。買って帰り、すぐに読み始めました。 気になる内容は、豊臣秀吉が天下統一の仕上げに、北条氏が治める関八州の征伐に当たった時のお話。百を超える北条氏の支城の中で唯一落ちなかった城がありました。その名は忍城(おしじょう)。現在の埼玉県行田市にあった城です。成田氏を城主とするこの城は、上杉謙信の二度にわたる攻撃にも耐えた関東七名城の一つに数えられる城。この本ではその城を舞台にした戦いが描かれています。そして、その戦で指揮をとったのが先ほどの「智も仁も勇もない、が人気だけはある」忍城の城代、成田長親です。 この長親、城下の者に(町民や農民にも)「のぼう様」と呼ばれ、親しまれています。「のぼう」は「でくのぼう」からきているのですが、普段からぼーっとしていて、何を考えているのか分らない、武芸も達者でなく、農作業を見ているのが好き。本当は手伝いたいのだが、不器用なのぼう様には声がかからないといった具合です。しかし、豊臣方が攻めてくるとなった時、戦うと言い出したのはこの長親。初めは、城からの徴兵命令に従わなかった農民たちも、言い出しっぺが長親だと分かると、途端に「行く、行く」と言い出す。これこそが長親の最大の武器。他の武将も(くせのある者が多いのですが)長親のためにしてやれること、それは自分たちができることを精一杯やるということなのですが、それをすることで素晴らしい戦いを展開します。長親の人物像がこの通りだったかどうかは分かりませんが、この城が耐え抜いたことは史実です。 豊臣方の石田三成がこの城を攻めた際、その兵数はおよそ三万。対する忍城側はおよそ三千。通常、城を落とす際は攻城方は守城方の10倍の兵を要する、と言われるらしいのですが、兵数でいえば十分な数だったわけです。誰が見ても忍城が落ちるのは明らかでした。しかし、この城は落ちなかった。長親をリーダーとし、それぞれ城門を守る兵たちの統率が取れていたということもあるようですが、その立地によることろも大きかったようです。忍城は「浮城」の異名を持つ沼の中に建つ城で、その沼に点在する小島を本丸、二の丸やらとし、それぞれを橋で結んだ形になっています。そして沼の周りは湿地帯、当時は深田が一面に広がっていました。先鋒部隊である足軽たちはこの深田に足を取られてなかなか進めない。道はあるのですが、その幅は狭く、そこを行こうものなら鉄砲で狙い撃ちにされてしまう。忍城側の意外な頑張りにも押され、しばらくこう着状態が続きます。そこで、三成が取ったのが「水攻め」です。水攻めといえば、秀吉の「高松城水攻め」が有名ですが、人工の堤を築いて川の水を引き入れ、城を水浸しにするこの攻法を三成も取りました。近隣の農民たちに十分な給料を払い、全長28kmに及ぶ大規模な人口堤を5日で完成させたのですが(この堤の一部は、石田堤という名前で現在も残っています)、その中には成田方の忍びの者が紛れ込んでいて、手抜きを工事をしてしていたようです。これで準備は整った、と川の水を引き入れ、そこに大雨まで降って、得意満面の三成でしたが、手抜き工事の部分から決壊が始まり、その濁流により自軍が多大な被害を受けることになりました。石田軍の兵およそ270名が溺死してしまったのです。この失敗は数字以上に大きなダメージを石田軍に与えたようです。三成はもともと事務方でしたが、この戦により三成の戦下手は決定的になったと言われています(が、最近ではこの水攻めに固執したのは秀吉だったというの通説になっているようです)。秀吉は、武の才があまりなく、豊臣配下の他将の間で肩身の狭い思いをしている三成に武功を上げさせるべく、この任を与えたようですが、まさか落とせないとは思ってもみなかったのでしょう。結局この忍城は北条氏の小田原城が落ちてもまだ落ちることなく、豊臣方に降伏した北条氏による説得でようやく開城することになります。その際、この小説では負けた側としては異例の条件で開城しています。それは、各武将は己の財産を持って出て行ってよいということなのですが(通常であれば、斬り殺されていてもおかしくない)、それを三成は認め、さらには、長親の「我が領内の投降した農民が斬られた。投降した農民を斬るとは許せぬ。その斬った者の首をはねてくだされ。」という願いをも受け入れます。三成は、自軍の兵士たちが敵の領地内で強盗や虐殺などをすることを禁じており、それを犯した者には厳罰をもって処したそうです。この小説を読んで、戦国時代に生きた人々のかっこよさを知りました。「敵ながら天晴れ」というのがその代表例かと思いますが、考え方・振る舞いがかっこいいのです。三成についても関ヶ原で負けた軍の将という印象しかなかったのですが、見方が変わりました。他の戦国武将について書かれた本も読んでみたくなりました。きっとみんなかっこいいのでしょう。「もしあの武将が現在にいれば、社長業を立派にこなすだろう」などと今でも言ったりしますが、それぐらいあの時代は特殊で、その時代を生き抜いた人々は魅力的なのでしょう。 |
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| 2008年1月号 題名:初詣で&達磨 幡谷 隆 (数学 担当) |
2008年が明けました。新しい年になると心も新たに、特別なことが待ち受けているような気持ちになり、この 歳になってもわくわくするものがあります。 我が家では毎年、千葉県の香取神宮に初詣でに行っていたのですが、今年は帰省やら冬期講習やら模擬試験など の所用が重なり、未だ詣でることができずにいます。 そもそも、「初詣で」はいつ行くものなのか?と、疑問に 思ったことはありませんか?私なりに聞き調べてみたら、正月三が日に行くものだという意見と、1月中に行けば よいという意見が半々でした。中には、その年に初めて参拝すればそれが初詣でだから、期間は決まっていないと する見方もありました。これらの意見を自分の都合の良いように解釈し、「まぁ、なるべく早くお参り行こうか・ ・・」となります。教室に飾る合格祈願の達磨も買ってきたいので、明日(これを書いている今日は1月6日です )にでも行ってきましょう。 と、思った所に二つ目の疑問。毎年、合格祈願ということで白い達磨を探して買って来るようにしているのです が、数年前、今年と同じように初詣でが遅くなってしまった時がありました。白い達磨を探してもミニチュアサイ ズのものしかなく、売り子のおばさんに聞くと、赤い達磨は家内安全。交通安全、無病息災、なにやらかにやら・ ・・とにかく全般をまかなう達磨だからもちろん合格祈願にもよいのだと言いくるめられて?、赤い達磨を購入し たことがありました。私も、白い達磨にこだわるわけではないからそれほど気にもしていないのですが、達磨売り の出店を見てみると、実に様々な色の達磨が置いてありますよね。色の違いは一体何を祈願するものなのか皆さん は理解していますか。そこで、簡単に調べてみたことを書いておきますね。 赤 (福だるま) いつも明るい家庭に宿る福の神 白 (博学だるま) 勤勉、努力は博学の母 青 (青雲だるま) 青雲の志あれば立身出世、盛運隆昌 黄 (黄金だるま) 富も名声・名誉も、あなたに黄金の輝きあればこそ 黄緑 (緑健だるま) 緑は健康の源。緑を取り入れ健やかに、伸びやかに 金 (金玉だるま) 金科玉条なれば財宝、珍重ざくざく 緑 (万緑だるま) 自然環境を大切に、万緑ある生活で活力アップ 黒 (黒だるま) 豊穣を祈願し五穀を食すれば、黒髪生え苦労知らず オレンジ (橙だるま) 夢は大きく、希望は高く、心は広く、器量は猶大きく ピンク (桃だるま) ♪君と好きな人が百年続きますように♪(ハナミズキ) つくづく、日本人は宗教に寛容だなと思いながらも、皆さんにとって今年一年が良い年でありますように。 |
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