2005年度                                         

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2005年1月号     題名: 正月はもち               石田俊吾 (理科・数学 担当)
 この正月はいかがだったでしょうか?
今年の目標はお決まりでしょうか?・・・などと普通の挨拶もありきたりなので、今月のネタは食べ物でいきたいと思います。
みなさんは正月は何を食べましたか?なぜ、正月はなぜもちを食べるのでしょうか?と思い調べてみたところ、
これはとてもむずかしい問題だそうです。なぜなら、これは何百年も前から日本にあった習慣でありながら、なぜそうするようになったのかについての記録がないからだそうです。従って、ひとつの説が紹介されていました。
「大昔の日本人は正月には神様がやってくると信じていました。大晦日の日には、明日やってくる神様のために、おもちや野菜、魚、鳥などを供えることをしたのです。その供えたたものを、翌日つまり1月1日に一緒に煮て食べたというのがおぞうにのはじまりのようです。神様に供えたものを食べるというのは、神様と同じ物を食べて、その力を分けてもらい、一年間幸せに過ごそうという意味があるといわれています。また、このお供えもののなかに、なぜおもちが入っているかについても正直なところまだ良くわかっていません。しかし、昔は今のように食べ物が豊富ではありませんでした。食べ物というのはそれが何であれ、かなり大切なものだったようです。そのなかでも米から作るおもちは日本人にとっては特に大切なものだったのでしょう。特に大切なものを神様にお供えして、それを後で食べたのだろうといわれています。」だそうです。
正月にもちを食べられることは幸せなことなのですね。
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2005年2月号     題名:コーヒーと肝臓               幡谷 隆 (数学 担当)
先日の新聞記事にコーヒーを毎日飲む人は、飲まない人に比べて肝臓がんになる確率が40%も低いという研究結果が報じられていました。
私は昔から酒に弱く、ビールをコップに1杯飲んだだけで顔を真っ赤にしてしまうほどで、酒をあまり飲めない分、肝臓病には無縁かと思っていました。しかも、コーヒーは大好きで、毎日マグカップに5杯以上は確実に飲んでいます。先の研究結果からすると、私ほど肝臓が丈夫な人はいないのではないかと思いました。
しかし、思い返してみると4年前、体調が急に悪くなり、体中に黄疸が出て入院したことがあったのです。そのときの病名が原発性胆汁性肝硬変!その時点で国の特定疾患に指定されている病気、ゆえに原因は不明。様々な検査、治療の結果、3週間ほどの入院、週に1度、2ヶ月ほどの通院で完治したのですが、見事に肝臓病にかかっていました。
その後、肝臓に関する検査を受けても異常は見られなく今日までは健康で過ごしていますが、自分の経験を振り返る限り、「コーヒーを毎日飲む人は・・・」の報道にはあまり信憑性は感じられません。

でも、コーヒーが好きなことには変わりなく、毎日数杯飲んでいますが、最近はインスタントコーヒーが極めて多い。手軽に飲めるからという理由ですが、本当は挽きたての豆をドリップしたコーヒーが好きなんです。香りでリラックスでき、苦味に刺激を受けつつものどごしの円やかさに満足できる、といってもどこの豆でもいいわけでもなく、やはり少しばかりのこだわりがあります。
昔からおいしいコーヒー豆を求めて、デパートのコーヒー豆コーナーのこだわり品とか、通販でよさそうなものを試してみたり、人づてに聞いたおいしい喫茶店の豆を分けてもらったりして、それなりに「良」と呼べるものはあり、そのときそのときでは満足していました。しかし、数年前に北海道の「可否茶館」の豆に出会ってからは、それまで「良」ランクだった豆は「不可」になり、『可否茶館』の豆が「優」!ここのオリジナルブレンド(B)が特にすばらしく、豆の芳ばしい香り、独特の深みのある苦味、全くもって私の好みにぴったりとはまりました。以来、我が家でコーヒーを入れるときは必ずこの豆を使ってます。コーヒー豆にお金をかけ過ぎるのはどうかと思いますが、お酒に比べれば何分の1の金額です。自分の時間を少しだけ豊かに、よりリラックスして過ごすグッズのひとつとして、「可否茶館」のコーヒー豆はお奨めです。
是非1度お試しあれ。

他においしい豆の情報があれば教えてくださいな。
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2005年3月号     題名: 花粉症               石田俊吾 (理科・数学 担当)
 私自身は花粉症では無いのですが、幡谷塾でも花粉症の生徒が多数いるように思えます。
 今年の花粉の飛散量が去年の約30倍だとか、巷ではいっておりますが・・・申し訳ないことに私にはさっぱり分かりません。
 とはいえ、話は高校生の頃になるのですが、風邪でもないのになぜか鼻水やくしゃみが出るので病院にて血液検査を行ったところ、アレルギー性鼻炎と診断され、ハウスダストとスギにアレルギー反応が出ました。そうなのです、スギのアレルギー反応が出ているのです。つまり、いつ花粉症になってもおかしくないのです。
 花粉症といえばひとつの気になることががあるのですが、なぜ花粉症が現代において騒がれているのか?昔はそれほど騒がれなかったはずです。その説には、太平洋戦争後に杉の植林が行われ、それらの杉が育ち大量の花粉をまき散らすようになったためなどといわれているようです。その他、食生活の変化によるものも関係しているようで、ファーストフードや加工食品が増えてきたために胃腸にも変化がみられ、その為に抵抗力が無くなり、花粉症になりやすく
なってしまうらしいです。
 何度も申しますが、私は花粉症ではないので、つらい気持ちがわかりませんが、もちろんなりたいと思いません。何をどう気を付けていいか分かりませんが、気を付けたいと思います。
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2005年4月号     題名: 入学               幡谷 隆 (数学 担当)
 4月6日に末っ子の巌毅(いわき)が小学校に入学しました。3人目ともなると親も手馴れたもので、小学校に通う準備もスムーズに整えることができ、余裕を持って入学式当日を迎えることができました。
 ついこの間まで幼稚園生だったわけですから、自分のことをなんでも一人でできるほど成長しているわけもなく、何かと親や周囲の人の手を借りなくては小学校に通うこともできません。まだまだ、親として必要とされている実感を味わうことができました。
 さらに4月7日、長女まゆみが中学校に入学しました。小学校に通わすことには慣れましたが中学校は初めて。日ごろ塾に通う中学生には接しているものの、自分の子どもの入学となれば話は別です。妻から中学校についての質問をいろいろとぶつけられても、答えることはほとんどできませんでした。入学の準備もぎりぎりまで整わず、提出する書類も先送り。先生方にすでに迷惑をかけ始めている状態です。
 しかし、中学生ともなると自分である程度は事を進めてくれます。親の手を借りなくても入学してから恥ずかしくないように最低限の準備は友達と連絡をとりながら済ませてくれました。その分、親の不手際が目立ってしまいましたが・・・・。
 それにしても、中学生の学習内容についてはもちろん把握していますが、学習面以外のこととなるとこれほど曖昧にしか理解していなかったのかと痛感しました。
 どの家庭でも一人目の子どものときは何かと心配が多いことと思います。高校入試についても常々いろいろなご相談をいただきますが、私にとって当然のことであっても初めて入試を迎える方には理解しにくいところがたくさんあるはずです。わが身に置き換えて、さらに丁寧な説明ができるようにしたいと思います。
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2005年5月号     題名: 百円のお店               石田俊吾 (理科・数学 担当)
 老若男女問わず、誰でも知っている店のひとつに、最近流行っている百円のお店があると思います。流行りものであるがゆえに、若者は「ひゃっきん」そうでない人は「百円ショップ」と言っていた時もありました。ちなみに、
私は、「百円ショップ」でした。
 さて、その百円ショップですが、全国に展開する大規模な店から、個人運営の店まで様々なものがあります。そして、扱う商品の種類も、日々増えているように思えます。その種類も、もはや百円ショップの枠も超え、二百円のものや、それ以上のものも売られています。中には、千円のバックなども売られています。百円のものを買いに行くというよりも、そこに行けば何かがあるといった、百円ショップ=何でも扱う店となっているのでしょうね。百円ショップに行くと、ついつい買ってしまい、逆に無駄遣いをしていまうという話をよく耳にします。
聞いた話ですが、世の中には、千円ショップというものもあるらしく、その商品が千円で売られているということ自体は、安いのかとは思いますが、気軽に買えないため、今一つだったそうです。確かに、百円ならば気にせず買える丁度いい値段なのかと思います。あとは、色々な商品が並んでいるので見に行くだけでも楽しませてくれるのが、百円ショップですよね。
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2005年6月号     題名:余暇                 幡谷 隆 (数学 担当)
 本日、7月27日。6月号なのに7月の末に書いている自分にあきれています。
 前日は台風の直撃を心配し、外出を控える家庭も多く、塾の授業の欠席者も数名いました。運動部の県大会と重なっているせいもあったのでしょうが・・・。
 
 先週は塾の夏休みを頂き、リフレッシュしようかと色々と目論んではいたのですが、子どもが小学生や中学生になるとそちらの予定を優先せざる得ないため、自分の自由な時間というのもなかなか確保することが難しくなってくるものですね。実際、好きなゴルフも存分にできたわけでもなく、子どもが持ち帰った予定表にしたがって、やれ親子球技会だ自治会の行事、地元の夏祭りに子どもにせがまれて連れて行ったりと仕事の疲れとは違う、慣れない疲労感を貯めていました。

 子どもがまだ小さいころは、まとまった休みがあれば家族でどこかに旅行に行ったり、妻の実家に帰省したりし、そのための計画を自分たちで綿密に立てて、それもまた楽しいものでした。しかし、子どもの成長に従い、我が家の余暇の過ごし方も様変わりしてきました。前述したように子どもの予定がまず第1に優先され、しかもそれは自分たちが計画したものではないという、以前との大きな違いがついてきます。子の成長につれ、親年齢、家族年齢も相応になってきたということでしょうね。あらためて、余暇の過ごし方について考えてしまった今回の長期休暇でした。

 あるアンケートによれば、余暇の過ごし方で近年増加しているのは、パソコンとガーデニング、逆に減少しているのはカラオケだそうです。パソコンとガーデニング?まさに自分が最近時間を費やしているのはこの2つ。カラオケはここしばらくは積極的に行こうとした覚えはないな〜。と、自分があまりに一般的で平凡な人間なんだと落胆しつつも安心してしまいました。

 さて、来週からは夏期講習を行ないます。受験の天王山と一般的な考えを持ちながら、気合を入れなおして、頑張ります。
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2005年7月号     題名: 毛筆その3               石田俊吾 (理科・数学 担当)
 私が書道を始めて、一年程度経ちました。
 初めて級が上がったのが昨年の11月、つまり半年かかった訳です。そして、今回(実は5月になるのですが。)またしても級が上がりました。(準八級→八級)
 前回上がった時から数えて、また同じく半年で上がりました。
 いいペースなのか、そうでないかは分かりませんが、うれしいに越したことはありません。
 なかなか級が上がらないと、以前にもお伝えしました。級は誰が決めているかといいますと、私が習いに行っている教室の先生ではなく、本部の会長が決めているそうです。なので、教室の先生も、級があまりにも上がらないことを疑問に思い、「もう少し上げてもいいんじゃないですか〜」。と会長に伝えてみたことがあるらしいです。
(受け入れてくれなかったようですが・・・)ちなみに、その本部でも一般向けに書道の教室を開いているようですが、一(いち)だけを1年間書き続けるそうです。そこに通っていることを想像するだけでも冷や汗が出そうですが、やはり字の基本は一(いち)なのでしょうね。
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2005年8月号     題名:父に思う                 幡谷 隆 (数学 担当)
 8月は夏期講習期間ということもあり普段と違うシフトで動くため何か気忙しい。それに加えて、子ども達の夏休み期間中のため、子ども会の行事、学校の親子球技大会、親子での奉仕作業、自治会の納涼祭など楽しいことだけれども時間が取られてしまうことが重なった。そして何よりも今年は、昨年末に他界した父の新盆のため,お盆前は、お客様方にお出でいただく準備、お盆の期間中はその応対に家族総出であたった。
 父を亡くして、父の偉大さが分かるというのもごく一般的かもしれないが、生前から存在感のある父が亡くなるとさらに大きく感じられた。私は次男のため同居してはおらず、男同士ということもあり普段からさほど会話が多い方ではなかった。母とは小さいころから現在に至るまで会話は多いが、父と腰をすえてじっくり話をしたことはあっただろうか?とはいえ、人生に対する影響はすさまじく大きなものがあることは間違いがない。
 小さい頃から「男は人の上に立つ人間にならなくてはだめだ。」と言われ続け、父自身も45才(位?)にサラリーマンを辞め、印刷会社を興した。今考えれば、45才で独立をするなど、とてもとても大きな賭けだったのではないかと思われる。人に使われるのは性に合わないとばかりに仕事をし続け、生涯現役を通した姿はすばらしく映る。かくいう私も27才の時には、サラリーマンから塾専業に移行した。自分としては会社という枠組みの中で動かされることに嫌気が差したいわゆるサラリーマンの落ちこぼれ的な感があったが、父の影響は大いにある。「人の上に立たなくては・・・・」と、私はそれほど思うことはないが、人の下で働き続けることは嫌だ。この気持ちが強いから自営業を始めたのかも知れない。
 また、小さい頃から父の母校である土○○高に進学しろと、言われ続けた。小学校に入る頃にはその高校の校歌まで覚えさせられた。ある意味危険な教育ではないかと思うが、中学3年生になったときには自分の志望校が○浦○高になっていた。高校に合格したときの父の喜びようはかなりのもので、入学式に出席するほどだった。もっとも、入学後は私の成績があまりに悪いため、ほとんど高校で顔を見ることはなくなったが・・・。
 以前も書いたが、私には3人の子どもがいる。最近、その子ども達に対する要望が父に似てきていると、妻に言われることが多くなった。
 これもまた父の影響だ。
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2005年9月号     題名: 練習・・・               石田俊吾 (理科・数学 担当)
 練習という言葉を辞書で引いてみた。「技能・学問などが上達するように繰り返して習うこと。」と書いてあった。 
 下手くそなのであまり言いたくはないのですが、最近ゴルフを始めました。練習しているが全然上達しません。いやいや、そうではなく、練習していないから上達していないのでしょう。ゴルフに限ったことではないのですが、あらゆるスポーツで最高峰の人達といえば、プロ選手です。ゴルフにしても、野球にしても、どんなに上手な人でもプロ選手には及びません。それはなぜか?もちろんもって生まれた素質もあるが、やはり、練習量の違いでしょう。プロ選手はそれを本業としているわけですから、普段は練習ばかりしています。対して、一般人はその時間に仕事をしています。仕事以外の時間に練習をしているわけですから、練習に費やす時間が全然違います。これでは、一般人がプロ選手に追いつけるわけがありませんね。差が開く一方です。
 とりあえずそれは極端な例なので、一般人同士を比べてみましょう。同じようにどのスポーツにもいえることですが、そのスポーツが好きな人は上手です。それはなぜか?やはり練習をたくさんしているんでしょうね。「練習をたくさんする→上手になる→面白くなる→また練習をする→もっと上手になる」つまりこれの繰り返しだと思います。最初から上手な人はいませんから、初めは誰でもつらい練習をして、そして、段々と上達していったのでしょう。上手な人とそうでない人の差は、この最初のつらい所を乗り越えるかどうかなのかもしれませんね。 これまでスポーツに限って述べてきましたが、そうとも限りません。以前にもお伝えしていることと思いますが、私が習っている書道でも同じことがいえます。なかには始めたばかりでやめてしまう人もいるようです。しかし、長くやっている人がやめることは滅多にありません。やはり、楽しくなるからなのでしょうね。
 他にも色々いえます。例えば勉強。成績の良い生徒はどんどん伸びます。反対にそうでない生徒は、伸び悩みます。それは勉強(つまり練習)をするかどうかだけの問題です。伸び悩む生徒はまだ、最初のつらい練習を脱していないのでしょうね。
 最初は誰でもつらいもの、最初のつらい練習を抜けるまでがんりたいものです。

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2005年10月号     題名:親として                 幡谷 隆 (数学 担当)
 長年、小・中学生の勉強を見てきました。授業中の指導はこちらの責任ですが、成績を向上させるためには家庭における学習の取り組みが最も重要であることを生徒、ご父兄方に認識してもらいたいと考え続けてきました。なぜ、家庭でもっと復習を習慣付けることができないのだろう?せめて宿題だけでも忘れずに取り組むことは無理なことなのか?塾で学校の教科書を使うことを常々生徒に伝えているのに何でいつも忘れるの?志望校についてもっと親子で考えるべきなのではないか?などなど・・・。家庭に対する要望がいつも喉の奥につっかえています。
 しかし今年、長女が中学に入学し、家庭学習や志望校についてこれまでよりも現実的に親子で考えてみるとこれまでとは若干、変化が生じてきました。それは、子どもと親の距離。別に、互いに無視するわけじゃない。もちろん家族として、親子としての愛情は十分にあると思っています。ただ、子どもの人生は子どもなりに考え、壁にぶちあたりまたそれを越えていかなければならないということ。親がすべてのレールをひいてしまうケースもあるでしょうが、子どもは自分の次の世代の人間であり、子どもが死ぬまで親が面倒を見ることは絶対に不可能なこと。子どもなりに将来のことを考えなければ、目標も努力もありえないのです。中学生になった長女には多少なりとも自立していくことを促していこうと女房殿とも話をしています。子どもは親の所有物でもなく別な人格を持った一人の人間なのだということを、今年、長女に教えられました。
 これまで、自分の親年齢が低く、子どものこと、家庭のことをすべて親の責任のようにしか考えられなかったところがありました。子どもを持たない人に親の気持ちが分かりづらいように、子どもの成長とともに親としての役割が変化していくことが、自分の子どもが幼い時には理解しにくかったのでしょう。
 生徒に対する要望は、生徒一人ひとりの責任として実行できるように指導すること。志望校についても生徒が主体となって考えて、自分なりに調べられるように導くことが私にとっての「仕事」と再認識しました。
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2005年11月号     題名: テレビは良い?悪い?           石田俊吾 (理科・数学 担当)
 生徒たちの話題の一つに、テレビがある。我々教育者としては、「テレビを見る時間があったら、勉強しなさい」というが、はたしてテレビはそんなに悪いものなのだろうか?
 私が受験生の頃、噂なので本当かどうかは判らないが、勉強をした分だけ頭が良くなるが、逆にテレビを見た分だけ頭が悪くなるという事を聞いたことがある。確かに勉強をしたら頭はよくなるが、老人に対してボケ防止にテレビが良いなどと聞くので、テレビを見たからといって頭が悪くなるのだろうかと、疑問を抱く。
 受験生にはテレビは必要ないが、その他の学生にとってみれば、友達との話題作りや最近、教育的番組が増えていることからして、あながちテレビが悪いとはいえないと思う。また、大人になってから昔見たテレビ番組について振り返ったりします。そう考えると、それほど悪いものとは思えなくなってしまう。ただ、同じ見るにしても、頭に入れながらテレビを見たいものだ。教育的番組に於いては、「ああー、なるほど!!」で終わってしまい、振り返った時に悲しくも思い出せないのである。ドラマに関してもただボーッと見るのではなく、そのドラマの伝えたいことを考えながら、見たいものである。(今、私は勤務時間上全くドラマを見ないが・・・)また、お笑い番組にしても、ただワハハと笑うのではなく、なんで?面白いんだ。と違った観点から見ると、自分の日常の会話に役立てるのではないかと思う。とにもかくにも、テレビは見方さえ考えれば悪いものではないという結論になってしまう。
 テレビとはそもそも娯楽の為にあるもの(一概にそうともいえないが・・・)なので、テレビを見て満足できればそれでいいと思う。もし、満足できないのならばそれは時間の無駄だったといえるのであろう。
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2005年12月号     題名:洞爺丸                 幡谷 隆 (数学 担当)
 今年を振り返ると、世界的に災害が多かったことが印象に残る。台風やハリケーン、地震、津波などの自然災害、テロによる人的災害で多くの被害者が生じたことがとても痛ましい。また、国内では弱者を狙った犯罪が増加し、わが子や塾に通う生徒の年代が危険にさらされた。あろうことか学習塾内での講師による事件までおこってしまった。同じ業界の人間として、同じ年代の子を持つ親として今後このような事件は決して起こってほしくない。幡谷塾としての検討・対策を逐次推進していくことは当然のこと。
 
 さて若干話を戻して、過去の自然災害の項を検索してみると「洞爺丸台風」という名称があった。これは青函連絡船として就航していた船舶の名前だが、台風被害の少ない北日本で、記録的な被害を出したことは聞き覚えがあった。北海道とは縁が深い故、こういう言葉がすぐに目に付いてしまう。また、青函連絡船には大学を卒業し、茨城に戻る際、同じ剣道部で過ごしてきた仲間と一緒に乗り込み、甲板で別れの酒を飲み続けた思い出がある。

  ・・・・・以下引用

 1954年(昭和29年)9月26日22時43分
 青函連絡船・洞爺丸(3800トン)は、台風15号(洞爺丸台風、台風マリー)のため函館港外で座礁・転覆し、その結果、死亡および行方不明1155名(乗客乗員他1314人中、生存者わずかに159名)という大惨事となった。これは「タイタニック号」に次ぐ世界第二位、わが国最大の海難事故である。
 事故当日、台風通過のため出航を見合わせていた洞爺丸は、定刻(14時40分)の4時間遅れ(18時39分)で函館港を出航した。18時頃から風雨が弱くなり晴れ間が見えてきたのを<台風の目>と判断したのだ。
ところが、これは実は閉塞前線のいたずらであった。本物の台風の中心は、その時、間違いなく函館西方の日本海上にあった。北海道まで達してその勢力を維持する台風の数は多くない。しかし、台風15号は違っていた。渡島半島西側の日本海上(函館の緯度線上)に達する直前に急速に発達し、そして速度を急速に落とした。
 風の吹き込む方向は、函館湾が日本海にわずかに口を開けている方向と一致していた。その結果、函館湾には長時間にわたって南よりの強風が海から直接吹き込むこととなった。さらに、日本海で発生した波長の長い大きなうねりが函館湾内に押し寄せてきた。船尾開口部からは容赦なく波が打ち上げ洞爺丸にダメージを与えた。
 結果的に、洞爺丸船長の出港判断は間違っていたといえる。当時こうした判断はすべて船長一人の決断にゆだねられていたのだった。
 風の強さは想像以上で、洞爺丸は港に引き返すこともままならず、函館港外に投錨を余儀なくされる。しかし、錨はきかず七重浜(ななえはま)に向かって流され始めた。そして、ついに座礁し一応の安心が得られたと思ったのもつかの間で、強風によって転覆してしまう。
 水深わずか8m、海岸まで700mの地点であった。出港から4時間44分、座礁した3800トンもの船舶が転覆してしまうほどの想像を絶する風力であった。この時、洞爺丸以外の連絡船も数隻沈没し(いずれも乗客なし)、多くの船員が殉職した。
 なお、当時GHQ占領下の日本では気象観測網は貧弱であった。また、本格的台風と接する機会の少ない北海道で、予報官自身、台風予報の経験が少な く、台風の位置をリアルタイムで捉えていなかった可能性がある。
   ・・・・・・・・・・


 現在は青函連絡船は廃止され青函トンネルを通る津軽海峡線で本州と北海道はつながっている。年末には北海道の女房殿の実家に家族で帰省しようとしているところ。哀愁漂う青函連絡船が懐かしく思えるが、過去にこのような悲惨が事故があったことを思えば、すくなくともトンネルの中は台風や豪雪の被害は避けられる。
 別な心配がないわけでもないが・・・・・。

 2006年が災害のない平和な年になりますように。
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