2004年度                                                  

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2004年1月号     題名:今年の抱負      幡谷 隆(中学数学 担当)
あけましておめでとうございます。
いよいよ、受験シーズンに突入し、幡谷塾の生徒も講師も「合格」の2文字をつかむために冬期講習を行い、ラストスパートに入っています。普段、元気のいい中学3年生もこの時期になるとさすがに焦りはじめ、緊迫した雰囲気の中で受験勉強に臨んでいます。
そして、いつものことですが「あと1年あれば・・・」「もう一度中1からやり直したい」「もっと早く勉強を始めていれば・・・」というせりふが聞こえています。
こればかりはかなえられない願いだけど、当人にとっては心底後悔をしている様子が見受けられます。残されたわずかな時間を精一杯がんばってくれることでしょう。
私たち講師からはずいぶんと早い時期から、例えば中学に入学した時点から高校受験に備えるべく様々な情報を提供し、叱咤激励を繰り返しているのですが、塾生全員が受験生としての意識を持つまでには相当な時間が必要です。
まさに、切羽詰った状況に陥らないと行動を起こせない、こういったケースは非常に多いものです。

我が家に小5の娘がいますが、毎日の学校の宿題をなかなかやろうとしない。母親が口うるさく言っているようですが、そういわれることにもすっかり慣れてしまい、結局夜遅くに宿題を始め眠気がさしたままの状態で、やっとのこと作業を終える。
帰宅してすぐに始めることができていれば、もっと効率よく短時間で終わらせることもできるし、母親からうるさく言われることもないのに、毎回同じことを繰り返してしまうらしい。(私はその時間、家にはいないもので・・・詳細は不明ですが)
まったく誰に似たものか?と思い、すぐに自分に跳ね返ってきました。そう、私に似たんですね〜

月例試験の問題を作らなくちゃ・・と思いながらも、まだ間があると都合よく自分に言い聞かせて先延ばしにしたり、ホームページを更新しなければ思いながらも、明日にしよう、今日は気分が乗らないから。と、訳の分からない納得をしたり、生徒・保護者宛のニュースレターの作成も期日が明らかに迫らないと、なかなか手をつけることがない。
そんな私の血を引いた娘が、誰にも催促をされずに宿題を始めるなんて事は考えにくいものですよね。
しょうがない、あきらめるか。ってことを今年こそはしないぞ。

確かにやらなくてはならないことを、すぐ始めることってすごく難しいんですよね。
けれど、親として、生徒を預かる一人の講師として誓います。
これからは、やるべきことを先送りせずに、余裕を持ってひとつひとつの物事に対処していきます。

まずは1月号のニュースレターの作成にとりかかります。
ではまた。
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2004年2月号     題名:学習前             幡谷 隆(中学数学 担当)
長年塾講師をしていると、当然いろいろな子どもたちに接する機会が多い。勉強を苦にせず自発的に行う子もいれば、宿題を出されていることすら忘れる生徒もいる。積極的に質問を投げかけてくる子、こちらから分からないところ見つけながら指導しなければならない子、1週間で結果が出る子や3ヶ月でようやく結果が現れてくる子など、一人一人の学習定着の度合いはかなり違うものである。こういった学習に関する対策はこちらの専門なので、対応するために必要な知識・技能の引き出しは年数とともにそれなりに身に付いてきているし(?)、さらに日々勉強を重ねている最中でもある。
しかし、学習面以外のこと(実際にはかなり深い関係があることだが)での立ち入り方で悩むことが非常に多い。
例えば挨拶の仕方。教室に入ってきたときに黙って入ってくる子がたまにいる。こちらから「こんばんわ〜」と大きな声で挨拶をしても、うなづく程度の返事しかできない。教室を出るときも無言。学校では挨拶してるのかな〜?近所の人とすれ違っても同じように無言で通り過ぎていくのかな?
また、うちの塾は玄関でスリッパに履き替えて教室に入るのだが、靴を脱ぎ散らかしていく子が目立つ。もちろん、中にはきちんと棚に置く生徒もいるが、これはかなりの少数派。
「教室に来たときは挨拶をして入りましょう。」「靴はきちんと揃えて脱ぎましょう。」といったことも当然言い聞かせるが、効果のほどは疑わしい。

先日、家で子どもとテレビを見ていた。「ちびまる子ちゃん」のまる子が「どうすれば勉強ができるようになるのかな〜?」と悩むシーンがあった。おじいちゃんは「勉強のよくできる生徒は字がきれいだな。」と答えていた。
ノートをきれいにとることができる子は成績がいい、と考えてまる子は字の練習をはじめたのだが、「確かにそれは言える。」と思う場面であった。
大人にも同じことが言えるが、仕事が丁寧な人はミスが少ない。効率よく物事に対処するための準備ができているからだ。逆に、一見忙しく動いているようだが成果の上げられない人もいる。準備段階に丁寧さが欠けて効率が上げられないのだ。昔から「段取り八分」という言葉があるように、準備が行き届いていれば大方の成果は期待できるものだ。

塾に来たときの挨拶や行儀は「勉強モード」にはいる前の準備として必要だと思う。「さぁ!勉強するぞ!」と気持ちを高めて授業に臨むことができれば成果は相当期待できる。塾は学習をする場所だが、当然、学習を始めやすい環境を整えていく必要がある。今後も講師全体が力を合わせて環境作りに知恵と体力を費やしていこうと思う。

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2004年3月号     題名:                望月 俊夫(中学数学 担当)
昨秋幡谷塾デビュー致しました望月です。どなたが読まれるのかわかりませんが あくまでもある講師の独り言ですョ。

デビューしたての頃 生徒から「今度の先生は年寄りだね」(まあ、塾の中では年寄りと言われても仕方ないか・・、間違いなく歳は十分とっている。)また 「説明の仕方が塾長の方がいいね」(まあ、経験が違う、そのうちにはとは思うが今のところはこれも仕方ないか・・)生徒「先生のセーター毛玉がたくさんあるけど、いつ買ったんですか」 私「15年程になるかなー」 生徒「ワー、先生貧乏なんだ」そうです、私は貧乏です。貧乏と言うと語弊があるかもしれないが、間違いなく金持ちではない。でも金持ちでないことに後悔、卑下、残念、無念と感じたことはありまへん。それどころか 今では金持ちでないことにプライドさえ持っている。
現代はマネーの時代、すべては金が解決するというお前らの考えは全くのお門違いと言うもんだ!

さて、これからが本題。私の座右の書というか、単に寝床の枕もとにいつもおいてある本の中に、「清貧の思想」(中野孝次著)というのがあります。この中で言われていること程 自分の納得、合点がいくものはありません。書かれている題材が、あまりにもどえらい方々 例えば西行、兼好、光悦、芭蕉、良寛、池大雅 の皆様などの為、自分とあまりにかけはなれていて お話にならないというのがあるのですが それは そういう生き方ができて 結果えらくなられた方がたですので それはそれでいいのです。
本の内容がすぐ分かりそうな2、3のフレーズを書き出すと、
・足ることを知らば貧といえども富と名づくべし、財ありとも欲多ければこれを貧と名づく。
・されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。(生きてある今のありがたさを知れってんダ。「徒然草」)
・願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ (西行)
・何でも買うことができて、便利で快適になった現代というのは 生活を豊にしてくれるんじゃないの どうして自殺者が過去の 不便で物がなかった時代よりも多くなってしまうの 今まで人が追及してきた生産性というのは なにか間違っていないの (私)
・一生は雑事の小節にさへられて、むなしく暮れなん、日暮れ、道遠し。
これからは、世の中の義理やきまりを一切顧みないで、ただ自分のため、自分の魂の平安と充実のためだけに生きよう。(徒然草 ー 兼好)
・「西行の和歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その言わんとするところは一つ、これは日本文化の精髄であった。これを忘れ車なぞいくら輸出したって、そんなものは少しもわれわれの誇りにはならない。」 (中野孝次)

その中に、ひとつ ほー という話が載っています。(ほー と言うのは私だけかもしれませんが)それはある法師の話で、この男夜昼となく笛ばかりふいている、近所の人はうるさくてかなわぬので去ってしまい、それからは付き合う人とてなくなったが、一向に気にもせず、ひどく貧しい暮らしはしても物乞いなどおちぶれた行為はしなかったから、いやしむ人もさすがになかった。この法師の様子をパトロンの別当何とか(金持ち)があわれに思い、使いをやって「そちは身寄りの者 何でも頼みたいことがあるのなら言ってこられよ」そうしたら「これはこれは恐れ多いことですが、実は深くお願いしたいことがあるのです」との法師からの伝。別当何とかは これは何か所領なぞ望むに違いないとちょっくら前言ったことを後悔しながら さらに聞いてみると 法師からは「こちらの御領地は漢竹の産地、あちらの漢竹で作った笛の良いものをヒトツ取り寄せては頂けないか」とのこと 法師からの所望は予想に反してたいしたことではなかったので あわれを覚えた別当何がしが「そんな願いはたやすいこと、その他に暮らしごとで望みはありませぬか」すると法師「御志ありがたく存ずる。しかし 朝夕の食事なども、そのときどきあるものにまかせ、なんとかやっていけます。」とのこと 別当何がしは それでもきっとひどく困っていると思い 月々の食糧や費用などこまごましたものを送ってやると 法師はそれがある限りは楽人など呼び集め酒など飲ませ、日ぐらし共に楽をかなでて遊んでばかり。なくなるとまたただ一人笛を吹いて暮らしている有様であったという。
この話に鴨長明が感じたのです。

鴨長明は50歳のときに世を捨て方丈にわび住居したわけだが、鴨さんが この「数奇の心」に感じて記述している話なのですが この話 感ずるところありません?笛という利得とも栄達ともかかわりのない無用のわざに、ただそれが好きということ一事によってのめりこむ、寝食を忘れて夢中になる、現世の栄誉利得とはなれて遊ぶ心は、極楽に近いと信じていた。
あー、分かりません? 私の趣味のヒトツは フルートを吹くことなんですが、こういう生き方が清貧の生き方で、私の目指すところなんじゃらホイ。
最後までお読みになった方は えらい ご苦労さんじゃった。 おわり。
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2004年4月号     題名:趣味?                幡谷 隆 (中学数学 担当)
新学期を迎え、塾内の事務的な業務もやっと一段落をついたとおもいきや、ホームページの更新をすっかり置き去りにしていたことに気がつきました。
やっと自分の趣味に時間が少しはとれるかなと期待をしていたのに・・・・。
とは言え、自分の「趣味」って何かな?読書、音楽鑑賞、映画鑑賞・・・これらは確かに好き。だけど、人にうんちくを並べて語れるほど精通はしていない。やっぱりゴルフかな(これも精通しているとは言えないけれど・・・・)。
ゴルフの好きなところは、最初から最後まで自己責任であるところ。一人で練習することもできるし、ラウンドするときも、スコアはあくまでも自己申告。自分に正直であるかどうかが問われ、性格があらわになるところが何ともいわれず自分に合っているかとも思えるんです。
中学から大学までは剣道部に所属し、毎日毎日剣道をし続けていました。そのせいとは言えないけれど、団体種目はあまり得意とは言えませんね。うちの奥さんは、最近テニスに凝っていますが、相手がいないと練習ができなかったり、ダブルスで組む相手によってもいろいろな気遣いがあるみたいで、なんて面倒なスポーツなんだと思ってしまいます。
ゴルフで、技術的なところになると、「プロじゃないんだから、好きで続けていけることが大事。」と言いつつ、何年か前のベストスコアに執着し、こんなはずじゃない・・・と思いながらのラウンドをここ数年続けています。まあ、あくまでも趣味なんだからと言うところに行き着きますね。

「趣味」を辞書で調べてみると「専門としてではなく、楽しみにすること。余技。ホビー。 」と、書いてありました。そう考えると、私が仕事以外で楽しみにしていることって非常にたくさんあるんですね〜。逆に、苦痛を伴いながら行動することの方が思いつきません。何でも楽しみにしながら日々過ごしているんだなと、改めて思い、幸せを感じてしまいました。

で、今の子どもたちはどうだろう?と考えるわけです。
私が接している子どもたちは、少なくとも余暇を楽しみにしています。過ごし方は、もちろん十人十色というかみんな違うでしょうけど、「勉強」と「遊び」の区別は明確です。「遊び」の場合は、テレビを見たり、本を読んだり、昼寝をしたり、友達と遊んだりしながら時間を過ごすのでしょうが、「楽しみ」にして時間を送ることができれば、それは「趣味」を満喫したとも言えるわけです。
大人の価値観で「なんて無意味な時間を過ごしているんだ、もっと自分のためになる趣味を持て!」と、子どもたちに向かって言うのはおかしなことなんですよね。「楽しみ方」には人それぞれの感じ方、考え方があるわけで、決して踏み入れて欲しくない「領域」が存在すると思います。子どもの時間の過ごし方にもう少し寛容になっていこうと思いつつ、ゴルフの練習時間を増やす算段を練っている今日の私でした・・・。

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2004年5月号     題名:なまり              石田 俊吾 (中学数学・理科 担当)
私は今年の3月まで東京に住んでいたが、「今までほんとに東京さ、いだのが。」といわれるほど私のなまりは強かったようだ。地方出身で東京在住のみなさんが、たまに里帰りするときもなまりは戻り、電話で話すだけでもなまりは戻る、というのだからまさにバイリンガルである。
 この間のゴールデンウイーク中に、とあるスーパー銭湯に行った時の事である。連休中なので他県の人も来ていた。もちろん常連である地元のお父さん方も来ていた。「いやあ、混んでんなや〜。車も、ほがの県のばっかしだわ。いづも来てる人は今日はみがけねえな。」などと話していたが、まさにその通りでものすごく混雑していた。その為、茨城弁に混じり標準語も耳に入ってくる。いつもなら茨城弁を聞いていて恥ずかしいと思ったが、この時は茨城に来ているのに茨城弁を話せない他県の人がなぜかかっこ悪く私の目には映った。アメリカで日本語を話していると、何だこいつ、と思われるまではいかないが、郷に入っては、郷に従えとあるように茨城では茨城弁がかっこいい!と思う。 
 東京では5年間過ごしてきた。東京在住でも東京生まれの人はとても少ないように思われる。私が東京で出会った人々の中でも5%に満たなかったような気がする。もちろんの事だがなまりのない言葉が標準語である。しかし、そのなまっていない言葉を話しているのが東京人ではなく地方出身の人がほとんどだと思うと面白いものだと思う。はたして東京では標準語を話す必要があるのだろうか?
 東京では初対面の人と出会うと「どこに住んでるの?」から始まり、「東京の人?(出身は?)」という会話の流れのケースがよくある。そこで大部分の人が東京出身では無いと分かる一方、この人なまってないなあ〜とも思う。聞くと、人によって期間や時間は様々だが、なまりをとるように努力したようである。私の場合は、出身を聞かれ茨城県と答えると、大体「あ〜そう思った。」と言われてしまう。自分でも気づいてはいるが私は東京でもなまっていた。さすがに語尾に「ぺ」や「おーいじやげる!」や「おーたまげた!」などの独特の言い回しは使わなかったが、イントネーションは茨城弁であった。「手術(しゅじゅつ)」などの発音しづらい単語についても言えずにバカにされたものである。(ちなみに、しゅじゅつ→しゅづつと発音してしまう。)その他濁点が多いなど、指摘される箇所はたくさんあった。普通はなまりが恥ずかしいと思い、標準語を話すのだが、私はちっとも恥ずかしいとは思わなかった。だからなまりをとらなかったのだ。とろうと思えばいつでもとれるが別に通じるからいいじゃないか!と思うのは負け犬の遠吠えである。実はなまりをとる努力が面倒だっただけの根性無しである。おかげさまで周りの人は聞きづらくてしょうがないものである。やはり東京では標準語を話した方が良い。津軽弁と関西弁が会話をしていたら聞きづらくてたまらないであろう。だから東京では標準語を、同様に茨城では茨城弁を話そうではないか!
 
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2004年6月号     題名:毛筆              石田 俊吾 (中学数学・理科 担当)
「私はお世辞にも字が上手とは言えない。」というわけで、毛筆を習いに行くことにしました。
きっかけはもちろん字が上手になりたいと思っていたからなのですが、今の時代毛筆など普段使うことなどめったにありません、今の時代は筆ではなくボールペンですよね。だから通信教育でボールペン字を習おうと思ってりました。しかし、私の母ですが始めてから3年程経ちますが、毛筆を習っております。そこで母が毛筆の先生に聞いてくれた所、ボールペン字もよろしいですが、基本は毛筆なんだそうである。但し5〜10年はかかるそうではあるが・・・。よって、ヨシッ!と心に決め、毛筆を習い始めました。
 習い始めたと偉そうな事を言っていますが、実は始めてまだ1ヶ月も経っていないぺーぺーなのです。しかし、初心忘れるべからず!今のうちにこの気持ちを残そうとこの「講師のひとり言」に書き込もうと思いました。(と、なんだかんだ言っているが、来月頃、やはりしんどいです。と言いながらやめているかも・・・。いやいやそんなことはない、とりあえず5年じゃ5年!がんばるぞぅ〜!!)そして、いざ習ってみると、これが面白いの楽しいのって、もうたまりません。経験がある人には、あたりまえじゃー、と言われそうですが、筆の使い方が奥が深いのなんのって、もうすごいです。字と言うよりは絵を書いてる気分です。およそ2時間の講習なのですが、足りないっ!! 点を一つ書くにあたってもなかなか上手に書けません。そんなレベルで字なんて書くと、バーラバラのバラバラで全然整っておりません。バランスさえ整えば字は上手に見えると、先生に教えて頂くのですが、できない(T_T)書けない(ToT) やはり経験ですね。(とりあえず5年じゃ5年!がんばらねば!)
 毎月1回清書をして本部に提出し、その内容で級が上がるようなのですが、私が習っている教室は大変厳しいらしくなかなか級が上がらないようなのです。その私にとって初めての清書が来週に控えているのですが、はたして私の字が通用するのかどうか?不安でいっぱいです。そうならない為にもやはり、普段、家での練習が大事なんだそうです。(教室に行くのは週1回ですから、)気合を入れて清書に臨みたいと思います。
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2004年7月号     題名:『へぇ〜』のこと                久保田 美樹 (国語・英語 担当)
 近頃、いわゆるうんちくからおばあちゃんの知恵袋まで「雑学」という分野が流行っている。
 以前から雑学知識の豊富な人は一部で賞賛されていたが、どうしても「オタク」という目で見られがちで、雑学知識を扱うテレビ番組も深夜枠であり、出演者も深夜枠にしか出てこないような「カルトな文化人」で構成されていた。広い範囲を網羅した雑学や、ある分野において深く突き詰めた知識といったものは、最大公約数の娯楽ではなかったのだ。
 それが今ではゴールデンタイムに高視聴率をとる番組があり、本屋には『いまさら人には聞けない』とか『人に話したくなる』とかいうような枕詞のついた書名の文庫本がたくさん並んでいる。
 
 待ち合わせの時間つぶしのためなどに雑誌か文庫を買おうとコンビニエンスストアへ行くと、ついそういった類の文庫本を手にとってしまう。ひとつひとつのトピックが短いのでどこで中断しても気にならず、「へー」「ほー」と読み進めていくと自分がちょっと賢くなったようないい気分も味わえる。関連ジャンルの話題が出たところで得意げに鼻の穴をふくらませて今得た知識をすかさず披露し周りの人たちに感心されるかっこいい自分の姿を想像し、読んでいる最中にすでに鼻の穴がふくらんでいるものだ。
 ところが、一冊読み終わったころには、何ひとつ覚えていない。どんな雑学を披露しようと思ったのか、きれいさっぱり抜け落ちているのだ。
 
 残念ながら寄る年波にもまれ翻弄され溺れかけ、記憶力が坂道を転げ落ちるおにぎりのように低下しているのは事実である。
 以前は覚えていなくてはならない大事なことも、覚えていたくないおのれの恥も、覚えている必要のない他人の失敗も忘れなかったものだが、今では覚えていられるのは他人の失敗くらいである。
 自分の恥を忘れるようになったのは体内おばちゃん濃度が高くなってきたという自然の摂理なので止むを得ないし、健やかな精神状態が保たれて毎日のごはんが美味しくなるので大歓迎だが、大事なことをすぐ忘れるのは社会生活に支障をきたすので困る。といっても、どんな大事なことを忘れどんな支障をきたして困ったのかも忘れているので、もしかしたら大事なことそれ自体がなかったのかもしれないが。

 だが、テレビや本で得た雑学がほとんど身につかないのは、決してわたしの記憶力のなさだけが原因ではないと思うのだ。
 知識は完全な受身で与えられるだけでは自分のものにならないのではないだろうか。

 小学生のとき「おざなり」と「なおざり」は同じものなのか辞書をひいて調べ、意味の違いがあったこと。
 高校生のとき「おきつしらなみ」と「まつげ」の「つ」は「の」の意味で、「沖の白波」と「目の毛」なのだと教えられ驚いたこと。
 本を読んでいたら「おもむろに」が「徐に」とルビ付きで書いてあり、『銀行のカウンターの前に立ったサングラスの男は手に持った黒いかばんの中からおもむろに何かを取り出した。豚の貯金箱だった。』という文章は、突然取り出したという描写ではなく、ゆっくり取り出したということなのだと知って、今までに読んできた「おもむろに」が入っていた本と、「おもむろに」を誤用したわたしの話を聞いてくれた人たちに謝り倒したいほど衝撃を喰らったこと。
 これらのことをわたしはたぶん忘れない。

 経験する、興味を持つ、必要で忘れては困るものだという自覚がある、その知識を思い出さねばならない機会を繰り返す、そういったことが自分の中にあるからこそ、「見たこと聞いたこと」は「知識」になるのだと思う。
 そう考えると博識な人たちの知識への情熱は素晴らしいものであるが、その博識な人たちの披露してくれる知識を「へーそうなんだー」程度で見たり聞いたりしたのでは自分の血肉にはならないのだ。

 雑学やうんちくに楽しく触れることのできるせっかくの流行である。
 普段なら自分の行動にかすりもしないようなジャンルに興味を持つきっかけになるかもしれない。きっかけをつかんだら、そのあとは自分の意志で見て聞いて読んで可能ならば経験して、知識を増やせばいい。それらは自分の血肉、本当の「知識」になるはずだ。
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2004年8月号     題名:『そばや』                   岡 京子 (国語・英語 担当)
今日は。暑いですね。受験生の皆さん、それに中学1年生、2年生の夏期講習に通っているまじめな皆さん、お元気ですか。
 ところで、食欲は落ちていませんか。私は、夏になるとどうしてもそうめんとか饂飩とかそばとか、つるつるとして冷たくておいしいものが食べたくなってしまいます。そうめんや饂飩は家でもおいしく作れますが、そばになるとやはりおいしいお蕎麦屋さんで食べたくなってしまいます。多くの人はそばならここの店でというこだわりがあると思います。私も小さい頃、水戸の吾妻庵という蕎麦屋のざるそばが大好きで毎週土曜日になると、親子で食べに行っていました。時には西瓜が目当てで冷麦をとったりしていましたがそばを食べるのがとても楽しかったのを覚えています。お店の人も、毎週のことなのでこちらのことをよく覚えていて、大きな西瓜を出してくれたりしてとっても得したうれしい気分になりました。
 ここ、玉造の近くにも、おいしい蕎麦屋があるのを知っていますか。塾の近くの恵比壽という蕎麦屋さんです。機会があったら行ってみてください。私はこの間行ってきました。そばが硬くて面白かったですよ。もちろんおいしいのですが、ここのそばの硬さを一度味わってみてください。本当に面白いですよ。お店は玉造町甲6277−1、電話0299−55−3539、木曜日定休、11時半〜20時営業です。お勧めの硬いそばのほかに十割そばというのもあります。塾長もここのそばのファンで,運がよければおそばをおいしそうに食べている塾長に会えるかもしれません。
 それから、私はまだ行ったことが無いのですが、鉾田町にかなりおいしいお蕎麦屋さんがあるそうです。手打ちそば おにざわという蕎麦屋です。創業は昭和元年といいますから、鉾田町では老舗の蕎麦屋さんということになります。ここの店では、お客さんが水そばを注文するのだそうです。汁が無くてもそばだけで十分おいしいということですね。皆さんのうちでどなたかここのおそばを食べたことがありましたら、どんなにおいしいのか教えて欲しいと思います。お店は、鉾田町塔ヶ崎723−3、電話は0291−32−2017、営業時間は11時半〜15時、17時〜20時、水曜定休です。
 もう一軒、鉾田町にはおいしい蕎麦屋さんがあります。村屋東亭(むらやひがしてい)です。ここのそばは、つなぎ1割の9割そば、常陸秋そばのおいしさを有名にした偉いお蕎麦屋さんなのです。お店は、鉾田町安房1418、電話0291−32−3173、営業時間は12時〜17時半、ただし売切れ次第終了、水曜定休のほか不定休です。電話をして確認してから出かけましょう。
 では、暑い夏もおいしいものを食べて元気に乗り切りましょう。野菜や肉、魚もちゃんととってくださいね。おにざわと村屋東亭にいった人はお店がどんな感じだったか、教えてください。小川校児童英語、玉造校児童英語・英語・国語担当岡 京子でした。
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2004年9月号     題名:夏期講習を終えて                石田俊吾 (理科・数学 担当)
 今年は暑い夏でした。そして、夏期講習が終わりました。終わってみると、あっという間でした。
夏期講習を受講し、成績UPに役立った生徒、そうでもない生徒(んん〜、そりゃマズイ)、全部出席した生徒、あまり出席できなかった生徒(んん〜、それもマズイ)と色々あるでしょうが、とにもかくにも終わってしまった事には変わりが無い。この夏休みがんばって勉強した生徒は、また今後も勉強をがんばればよいし、勉強ががんばれず、テレビやゲームなどで遊んでしまった生徒はもうしょうがない。これからがんばるしかない。いやいや、がんばって欲しい!!
私自身が勉強するわけにはいかないので、こればかりはお願いするしかないです。
 ところで、私は幡谷塾にて夏期講習は初めてだったのですが、その感想を今回述べさせて頂きたいと思います。通常授業と比べ人数も多く時間も少ないので、一つ一つの授業を、いかにまとめるかがポイントでした。今日どこまでやるかをもちろん決めておくのですが、そのようにいかないクラスもありました。進んでしまうクラスは大丈夫なのですが、遅れてしまうクラスです。なぜ遅れてしまうのか?簡潔にいえば、勉強が少々苦手だから・・・です。教え過ぎるのもよくないので、分野別に本当に大事な所をしぼり、難解な問題は飛ばしました。しかし、クラス全体で進みが遅いのなら問題無いのですが、同じクラスの中で、進む生徒、遅れる生徒と出てきてしまう事が大変な所でした。よく世間では、授業をする時に授業のレベルを、出来るレベル・真中レベル・出来ないレベル、どこにしますか?なんていうのを聞きます。私の場合は、その教科の苦手な子のレベルで授業を行っているつもりです。真中や出来るレベルでは苦手な子が、頭の中が???だらけになってしまい。授業が終わるまで1時間、ボーッとして終わっていまうというだけの理由なのです。逆に出来る生徒が飽きてしまうというのが、大変でした。もちろん、答え合わせや大事な所の説明はクラス全体でやりましたが、大変なのは問題を解く時です。出来る生徒はすぐに終わってしまいますので、どんどん先の問題を解かせたのですが、それは、勉強になる・ならないだったら勉強にはなるが、楽しい・楽しくないといったら、楽しくない方になってしまうんじゃないかなと思いました。その辺りを改善せねばいかんと思っております。
 あとは、夏期講習に限ったことではないのですが、良い授業とはどんな授業か?を日々考えています。自己満足の授業なんてものは簡単にできるのですが、生徒が満足する授業はとても難しいです。この間、幡谷塾長から、百ます計算で成果をあげている陰山英男先生の講演に行った話を聞いたのですが、公演は1時間程だったそうですが、あっという間だったそうです。それはそれはすばらしいらしく、やはり聞く人のハートの掴み方が半端ではなかったようです。私も陰山先生までとはいえませんが、とりあえず一歩でも近づけるように、努力していきたいと思います。


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2004年10月号    題名:子どものおやつ             幡谷 隆(数学  担当)
以前にも述べましたが、私には3人の子どもがいます。
小6の娘を頭に小1、幼稚園の年長の息子です。子育ての悩みとまではいかないのでしょうが、3人ともスナック菓子が大好き。母親が夕飯のおかずを買い物に行くのに付いていっては、自分の好きなおやつを100円以内で1個ずつ買っているのですが、チョコレートはまだいいほうで、おまけの方が大きいラムネ菓子やガム、グミ、中にはいったい何でできているのかもわからないような得体の知れない(と思っているのは私だけ?)スナック菓子。
共通しているのはどれもこれも、柔らかく、とてつもなく原材料が多い加工品であること。これをいつも食べていて悪い影響はないものかと無頓着な私ですら不安になりました。そこで、ルールを訂正しました。親の買い物に付いて行ってお菓子を買ってもらうことを今後禁止とすること。食事の前におやつを食べないこと。この二つです。
食事の前におやつを食べない、といっても買ってないのだから食べようがない。これに対しては、私なりに譲歩案を提示しました。『我が家で買うおやつはするめのみとする。』これには、私なりの考えがありました。
そもそも、柔らかいもの、何でできているのかわからないものに対しての改善策ですので、天然のイカを乾燥させただけのするめであれば添加物に気を配る必要はないし、最も期待しているのは咀嚼の効果。以前から咀嚼が与える脳への効果を信じている私にとってするめはうってつけの食品なんです。子どもたちが嫌いなものならば受け入れてもらえなかったかもしれませんが、幸いみんなするめ好き。とりあえずするめのみのおやつで毎日過ごしています。

そこで、するめにも少しこだわってみようかと思い、インターネットでよさそうなするめを販売しているサイトを検索して何種類か購入をしてみますと、大きさや厚みはもちろん、味・香りも千差万別。材料のイカが大きく影響しているのでしょうがこれほどまでにするめにも色々な差があるものかと驚きました。これまではスーパーで並んでいるものを適当に選んで買っていましたが、これほど違いがあるとは思わず食べていました。たかがするめとは言えません。
そこで、お奨めをひとつ紹介しましょう。静岡県の「松作商店」のするめです。私がここで褒めちぎるより1度購入してみると違いが分かります。料金も良心的だし、ネット通販ですが、対応も丁寧で安心して購入できます。

するめの効果が明らかになるのには数十年かかると思います。何事も継続が大切。今後も飽きることなく子どもたちのおやつにはするめを与えていこうと思っています。
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2004年11月号     題名:結婚式                石田俊吾 (理科・数学 担当)
 私事ではあるのですが、今月に結婚式を控えております。
 結婚式といっても色々な種類があり、専門式場・ホテルの仮祭壇を利用した教会結婚式が今、最も人気があると思いますが、それ以外では、神社で行う神前結婚式(あまり知られていないようですが世界遺産の厳島神社でも挙げられるそうです)、今では珍しいですが、寺院で行う仏前結婚式などもあります。
その他、公共施設やレストラン等で自分たちが挙式をしたいところで行う人前結婚式というのがあるそうですが、これが様々で、珍しいところでは忍者屋敷の中でウエディングなんてのもあるそうです。
 私は、それらの中で神前結婚式を選びました。場所が浅草神社(浅草寺の裏にあるといえばピンとくると思いますが)に決めたのですが、もちろんそこに決めるまで、色々と調べました。まずは誰もが知っている明治神宮。しかし、費用がかかりすぎるので断念。
 次に根津神社。場所は文京区根津にあり、7000坪の深い緑に抱かれ、江戸の神社建築としては最大の規模を誇るそうです。司馬遼太郎が「閑寂な境内・剛健な建築」と感嘆し、テレビのロケーションもしばしば行われるようで、ここの儀式の特徴は、簡略化を一切せず、参列者全員(大抵は新郎新婦とそれぞれの代表者のみ)が玉串を捧げる点。しかし、私共が見学に行ったところ、あまりにも閑寂で、どこに申し込みをしてよいか分からず断念。
 次が東京大神宮。現在行われている神前結婚式は明治33年に始まったそうですが、その創始だそうです。そこで見学に行ったところ、とても綺麗ですぐ横には披露宴会場まであり、とても挙げ易いのですが、創建が明治に入ってからなのでので当たり前ですが、歴史が感じられず断念。その他、靖国神社や湯島天神なども考案したが、断念。
そして最後に場所の説明のし易さや江戸時代創建の重要文化財という歴史などが気に入り浅草神社に決めました。ちなみに読み方は「あさくさじんじゃ」。
 そんな流れで決めたのですが、今、式を目前に控え緊張していますが、その反面楽しみでもあります。

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2004年12月号     題名:毛筆その2                石田俊吾 (理科・数学 担当)
 やりました。ついに級が上がりました。今年の六月から始めて以来六ヶ月、つまり半年、九級から準八級になりました。始めた時に、「うちはなかなか級が上がりませんから。特に最初の九級から準八級に上がるには半年位は、かかりますよ」と、先生からは言われていました。しかし、言われていながらも自分の中では、「本当に上達しているのだろうか?このまま一生九級なんじゃないか?」と考えた時もありました。しかし、がんばった甲斐がありました。
よかったです。本当によかったです。
 ところで、いつまで経っても自分の字が下手に見えるのは上達している証拠なんだそうである。人間は欲が出るもので、上手に書かねばと思い、だめな箇所が見えてくるから下手に見えるのだそうである。だから、私もいつになっても上手に書けないと思っているという事は上達しているのだな。と自分で自分を褒めて自己満足に浸っているのであります。
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