| 2003年7月号 題名:はじめまして 幡谷 隆(中学数学担当) |
| 幡谷塾なるもの開いて、早13年目になります。 大学を卒業して家業を継いでいた私が、ひょんなきっかけで妻とともに学習塾を始めたころは、まだ子供もなく二人きりの家族でした。 若さゆえか、特に先の展望を考えずに学習塾を開き、生徒をお預かりして初めて責任の重大さに気づきました。そのとき、「なぜ、この道に足を踏み入れてしまったんだろう?」と自問自答を繰り返していたものでした。もちろん、今でも答えは見つかりませんが・・・。 現在はまゆみ(11歳 女子)、省悟(5歳 男子)、巌毅(4歳 男子)の3人の子供がいますが、以前、省悟に「なんで塾の先生になったの?」って聞かれたことがありました。「なんでかな?わかんないよ。」という私に「塾の先生なのに分かんないの!」と、お叱りに一言。毎度のことながら、子供の質問に的確に答えることは至難の業ですね。 塾に来る生徒たちにもいろいろな質問を出されます。一番多いのはやはり「何で勉強しなければならないの?」ですね。この質問に対する答え(答え方)は無数にあるようですが、私はいつも「なんだ、そんなことも分からないの。何で勉強しなければいけないかが分かるまで勉強してごらん。」と切り返すことにしています。質問に対する答えとしては的確でないことはもちろん承知の上ですが、今の子どもたちには自ら考え、行動することが不足していると思うんです。生活の大半が親の意向、学校の意向、社会の意向に流されていて、自分の考えをまとめて表現することができない子が多いように感じます。 「勉強しないといい高校にいけないよ。」「いい高校に行けないといい大学には入れないのよ。」・・・・・などなど。子どもたちの希望を聞く前に打ち消しのレールをひいて行くような大人たちの言動にも首を傾げてしまいます。 せめて自分が接することができる生徒には、自学自習を薦め、自らの考えで正しい生き方が選択できるようになってほしい。多少なりとも、そのための手伝いができれば「塾の先生」になった意義が見出せるのかな〜と考えます。 省悟の質問に答えるのはまだまだ先になりそうな気がします。 |
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| 2003年8月号 題名:ファミコン語 小島 健(中学英語・国語担当) |
| 少し前のことだが、各局のニュースで『レストランにおける注文時などの店員の言葉使いについて』が話題に上っていた。 あれはおかしいのではないか、と。私も前々から気になっていたことだ。 例えば、「ご注文の方はお決まりですか?」そんな言い方をされると、「ご注文の方はまだ決まってないんですが、先にご注文じゃない方から決めてもいいですか?」などと言いたくなってしまう。 なぜ、「〜の方」という言葉を付けるのか。 よく耳にするのが「それは、日本人の国民性によるもの。そのように言うことで、断定を避けたり、押し付けがましさを無くすのだ。」という意見である。う〜ん、分かるような気はする。が、やはりここは「ご注文はお決まりですか?」でいいのだから、余計なものは付けなくていいと思う。 他に気になるのは、「ご注文は○○でよろしかったでしょうか?」という言い方である。 「よろしかったでしょうか?何で、過去形なのだろう?そうか、この店は前に来た時の復習から入るんだな。」と納得。は、当然しない。そんなわけはないのである。そこで過去形を使うなら、例えば「そこに眼鏡あるでしょ、取って。」と言われた時に、「え?なかったよ。」と答えなければいけない。これは、どう考えても不自然である。「え?ないよ。」が自然な答えだろう。なぜ過去形を使うのかはよく分からないが、そうすることで自分はもう対象とは関係ないような、もし間違っているとしても私は関係ありません、というような雰囲気を醸し出そうとしているのかもしれない。 ま、真偽のほどは分からないが、できれば「ご注文は○○でよろしいですか?」と言ってもらいたいものである。 ちなみに上岡龍太郎さんは、ここで例えどんな言い方をされたとしれても、この時間自体が嫌いらしく、「私はちゃんと注文をしたんだから、間違えたとしてもそれはそっちが悪いんだから、時間の無駄だから行きなさい。」と言うんだそうです。 怖いですね。 気になる言い方はまだある。「〜になります。」である。 例えば、「こちら、オムライスになります。」「なります、ということは、このどう見てもすでにオムライス(と私の目には映るのだが)が、今からオムライスになるということ?」とびっくりしてしまう。これがもし「オムライスになります」と、ご飯・卵・玉ねぎ・鶏肉・ケチャップなどが運ばれて来て、それらが目の前で調理されれば、「おお〜、なった、なった。オムライスに。」と納得する所なのだが。「オムライスでございます。」でいいのでは。丁寧さを出しているのかもしれないが、かえって奇妙な言い方になってしまっている。 実際、外食チェーン大手のロイヤルホストは、これらの言葉、ファミコン語(ファミリーレストランやコンビニでよく聞かれるため)を使わないに決定したそうです(お客さんからのクレームで)。 しかし、すでにマニュアル化され体に染み付いているため、なかなか直らないのだそう。 これらに限らず、最近の若者の言葉の乱れを「言葉は時代と共に変わっていくんだから。」と考える向きもあるようだ。 ファミコン語も「それはそれで新しい言葉の使い方だ。」と。 しかし、私はロイヤルホストに賛成です。やはり不自然な気がします。でも、アンケートによると「質問されるまで気にならなかったけど、そういえば…。」という人も結構いたようです。みなさんはどうですか?確かに、正しい言葉使いというのは難しいものです。私も気付かない所で、こういった言葉を使っているかもしれない。 気を付けなければいけませんね。 |
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| 2003年9月号 題名: (担当) |
| ZZZZ・・・・・ |
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| 2003年10月号 題名:はじめまして 鶴岡 京子(児童英語・中学英語・国語担当) |
| 今日は。 10月31日はHalloweenですね。 ハロウィーンは、もともとは古代ケルト人が新年を迎えるためのお祭りだったとか。このお祭りとキリスト教の諸聖人の誕生を祝うお祭りがいっしょになって現在のハロウィーンになったといわれています。 キリスト教では 11月1日をすべての聖人の誕生を記念する日「万聖節(All Saint’s Day、古くはHallowmas)」としています。10月31日はその前夜祭(All Hallow’s Eve)にあたることからHalloweenとよばれるようになりました。 ハロウィーンの色は黒とオレンジ。黒は夜の闇を、オレンジはハロウィーンのシンボルであるjack-o’-lantern、かぼちゃのちょうちんの色をあらわしています。 しかし、もともとあのちょうちんはかぶで作られていました。アイルランド人がアメリカに移住した後、かぶからかぼちゃに代えてちょうちんを作るようになったそうです。面白いですね。 ところで、かぼちゃのちょうちん、ジャックーオーランタンのジャックは人の名前です。 天国にも地獄にも行けず下界をさまよう男の幽霊の名前です。なんだか、ハロウィーンは日本でいうお盆と似ているとおもいませんか。 ヨーロッパの先住民族だったケルト人は、お祭りの日には先祖とともに魔女やお化けが地上に出てくると信じていました。 魔女や幽霊は、人間の子供たちを見つけるとさらって行くので、子供たちは、お化けや幽霊や魔女の仮装をして難を逃れていたのです。 現在は仮装をしてお菓子をもらいに近所を回る楽しいお祭りになりました。(ちょっと大きい子になると小銭をもらうようになります。このような場合、昼間でも、この幽霊や魔女達は町を練り歩きます。)ドアをノックしてTrick or treat! (お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ!)と言うといたずらをされたくない近所の大人たちは子供たちにお菓子をくれるのです。 このハロウィーンのお祭りがすむと、もう、すぐそこに冬がやってきています。肌に感じる空気もひんやりと、身も心もシャッキとさせてくれるようになります。 受験生は気持ちを引き締めて勉強一筋とならなくてはなりません。今年も後3ヶ月、ハロウィーン、クリスマス、大晦日、年が明けてお正月と楽しい行事が続いたら、受験はもうすぐそこです。皆さん、頑張ってくださいね。 |
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| 2003年11月号 題名:言葉の魔力 大島佳代子(中学英語・国語・小学算数 担当) |
| 先日、ラジオ番組のゲストに斎藤孝先生が出演していました。名前だけだとピンと来ない方でも『声に出して読みたい日本語』の著者といえば、「あっ」と思われる方は多いのではないでしょうか。氏は番組の中で「最近の人は自分が好きな詩を暗唱する事ができなくなっている。」とおっしゃっていました。 うーん耳が痛い。私もその一人だ。思えば学生時代、自分の好きな詩を筆でしたためることを書道の時間にやったなあ。作者の名前は覚えているものの、肝心な詩が思い出せない…。これじゃあイカン!と思い、遅まきながら買いました。 『声に出して読みたい日本語 CDブック』 目次をみると、国語の教科書でおなじみの清少納言『枕草子』、松尾芭蕉『奥の細道』、紀貫之『土佐日記』、『万葉集』、『竹取物語』の古典をはじめ、島崎藤村『初恋』、中原中也『サーカス』、川端康成『伊豆の踊子』、夏目漱石『夢十夜』、早口言葉や落語の寿限無、他には浪曲、お経と幅広いジャンルが収録されています。 「ほっほ〜」と思いページをめくっていくと、「あ、これ知ってる」というフレースがなんと多いことか!あれ?この詩は高校の先生がプリントにしてくれたなあ、先生はお元気かしら?などと思い出に浸ってしまいました。 私のお気に入りは中原中也の『サーカス』。詩の内容は決して明るいものではないけれど、いやどこか寂しい。色で言うとセピア色の詩。でもブランコの揺れを「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と表現しているところが面白い。声に出してみると、時には立ち止まって流れに身をまかせてもいいんじゃない? という気にさせてくれる。忙しい時にわざと「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」と言ってみると、不思議と「あせらない、あせらない」と思ってしまうのが、言葉の魔力ですな。 生徒諸君、勉強や部活と忙しい毎日でしょう。でも時にはちょっと立ち止まって、教科書の中にある詩のフレーズを声に出してみるのはいかが?声には魔力があるといいます。どんなものかは十人十色。秋の夜長、テレビなどの雑音をちょっと消してみて、お気に入りのフレーズを探してみるのもいいのではないでしょうか。 |
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| 2003年12月号 題名:日本文化の紹介 望月泰子(中学英語 担当) |
| 歴史の浅いアメリカとオーストラリアに住んでいました。どちらの国も多国籍の人々が集って成り立っている国です。 日本のように単一国民で長い歴史と独自の文化を持っている国民に或る種のあこがれを感じている様です。日本のみならず異文化を知る事にとても熱心です、学校、図書館、婦人会、教育者の集会ではよく日本の文化紹介を頼まれました。着物の着付けでは胸や腰が大きすぎて合わさらない人がいたり、帯が二重に巻けなかったり生徒に浴衣を着せると長い足がはみ出してかわいいものです。 茶道では正座をしてしびれたり、或る先生は正座は何歳まで出来るか訊ねていた。椅子にすわる彼等には膝を折り曲げて正座することがアクロバットのように見えたらしい。 にがい緑茶が飲めなかったり、それでも茶道の始まりとか武士にとって特別なしきたりを担った事とかには多いに興味を示しました。 剣道や空手、柔道、などには息をこらして目をみはっていました。忍者tortoise(亀)の漫画にも影響を受けていたのでしょうが?? 折り紙は10センチたらずの四角い色とりどりの紙が色々な物になる事にびっくりします。でも折ること、畳む事、を教えるのに苦労しました。風船、だまし舟、カメラ、飛行機、紙鉄砲〜この呼び方は近年の社会事情により〜paper.hornと呼びました。折りあがって遊べる物に人気がありました。 或る小学校で千羽鶴を折って広島の貞子の慰霊碑に送ってくれたのには感動しました。私達日本の母親もかなり手伝いましたが− 授業の一環としてこの様な異文化紹介を組み入れて多国籍の人々の環、和、話、を大切にしている教育環境を体験できた事、いまも懐かしい思い出です。 ちなみに現地では二週間に一度は着物を着ていたのに日本に帰ってきてからは一年に一度も着ることがないぐらい、淋しいことです。 日本に居ると気にもしない事が、残しておきたい貴重な財産だと思い知らされます。日本の祖先が育んできた文化をたまには見直してみませんか?私も今度のお正月には着物を着ようかな? |
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